2012年6月28日木曜日

「津波供養絵馬」

今月16日の社叢学会の定例研究会で、國學院大学の茂木栄先生から、「津波供養絵馬」についてのお話があった。

岩手県釜石市鵜の住居町の常楽寺には、明治29年の津波で亡くなった家族を供養するために、近親者が奉納したという絵馬があった。 茂木先生によると、死者とともに津波以前に亡くなった家族も描き、絵馬のなかで冥界での家族をつくるのだという。

岩手県立博物館の学芸員の方が撮ったという絵馬の写真が数枚、披露された。明治期のものだが、江戸絵風で端午の節句に一家が団欒する様子などが描かれている。髪を結った男女の優美な動き、子供との楽しげな様子と、鮮やかな色彩が強く印象に残っている。だが、今回の津波で常楽寺も大きな被害を受け、「津波供養絵馬」も境内にあった慰霊碑も流失してしまった。

柳田國男の『雪国の春』(「豆手帳から」)に、常楽寺の供養絵馬について詳しい記述があると紹介があった。大正9年、40日間の東北東海岸の旅を綴った記録である。

斯うして寺に持ってきて、不幸なる人々はその記憶を、新たにもすれば又美しくもした」。 

深い悲しみの中、親しい人の生前を想い、死後の穏やかな幸福を願い、理想的な冥界を筆で描いていく。そして、その絵を神仏に奉納する―。死者を送る、心を込めた美しい風習に深く感じ入った。同時に、当時の人たちの死生観も垣間見る気がした。


*柳田國男『雪国の春』

筑摩書房の全集2 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480024022/     

 角川文庫
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%AA%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%98%A5-%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9B%BD%E7%94%B7%E3%81%8C%E6%AD%A9%E3%81%84%E3%81%9F%E6%9D%B1%E5%8C%97-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9F%B3%E7%94%B0-%E5%9B%BD%E7%94%B7/dp/4044083029


2012年6月26日火曜日

「人の惑星」展


チラシに映る一枚の写真に惹かれ、石川梵さんの写真展、「人の惑星」 を観た。

アフリカのリフトバレー、アラスカの氷河ダイナミックな自然の空撮写真が会場を取り囲み、人類が生きるフィールドの広大さと限界を意識する。そのフィールドで人は祈る。フィリピン、インド、ケニア…そして日本、。世界各地での祈りの姿を映した多数の写真が並び、品川のビルの一角に、どこか特別な神聖な空間を創り出していた。

ケニアのある村での若者のイニシエーションの儀式、人々が神憑り、トランス状態に陥る祭り土着の信仰の激しさに圧倒された。神の宿る、神に近づく大地へと身も魂も捧げているような。このフィールドに存在を刻み付けているような。

昨年訪れた北インド、ラダックの祭りの写真にも釘付けになった。舌を切り落とさんばかりの僧を前に恐れおののく人々、祭りの熱気。人気ない僧院をめぐるだけではまるで見えてなかった、あの土地の宗教―。

なにより、アンデスの聖なる山アウサンガテ(標高6300超!)を登るペルーの女性たちが、強烈に印象に残っている。鮮やかな民族衣装を身にまとい、危険な氷 山を素足にサンダルで登り、祈りをささげる。高いところに登るほど、願いがかなうという。それゆえに死者が後を絶たない、命がけの祈り。儀式を見守り、涙を流す女性の横顔に吸い寄せられた。

この惑星のなかで、自然、大地、村の共同体、他者と私とを深く結びつけるのは、物理的な距離も 生死の境界をも超えたスピリチュアルな、究極に肉体的な祈りの部分だと、彼らは教えてくれる。私は何てさらりとした信仰の下で生きているのだろう。 
  
石川さんの視野と活動範囲の広さには驚嘆する。空撮、そしてフィリピン、レンバダ島のクジラ漁の撮影では、クジラの声を聴くために海にもぐる。観る側も、ダイナミックな地球の動きと現実への、同時間的にさまざまに生きる人々へのイマジネーションを掻き立てられる。





品川 キャノンギャラリー

石川梵さんのブログより写真展のようす  
http://lamafa.blog38.fc2.com/blog-entry-107.html


著書・写真集 (の一部)