2009年4月12日日曜日

神社ネットワーク論

今週から大学の講義がスタートし、ほとんどの講義が顔見せ程度で終了だったが、黒崎浩行先生の「神社ネットワーク論」は初回からしっかりとした内容で、興味深かった。神職の立場、神社という場所で様々な活動ができる、そういう期待が膨らんだ。

講義の方向性が、私自身以前から考えている社会科学の実践のいくつか―地域の活性化、地域文化、そのもとにある地域的自然の保護保全―そういった課題とリンクしていた。神職に就いた際に、取り組みたい理想に近い仕事がイメージできた。講義ではその方法や事例を紹介し、可能性を示していたので刺激的だった。

ひとつは、九州の人吉市にある、青井阿蘇神社の「おくんち祭り」の例である。子供から老人までの様々な世代が連携し、参加運営する形態の祭りである。興味深かったのは、世代間の祭り運営の継承の仕方について。20~30代の同年代グループが祭りの参加促進、伝承文化の継承をめざして結成された「継承部」のはたらきである。世代間で互いを尊重し、うまく融合していた。新しいものを取り入れ、伝統を受け継いでいく、そのことが祭りの中で実践されていた。

さらに興味深かったのは、三重県鈴鹿市にある加佐登神社の、鎮守の森の再生事業である。専門技術によって間伐をし、バリアフリーの散策路を作り、子供を対象に森での催を企画する。環境問題と福祉活動、子供の教育活動とが見事に組み込まれている。

専門技術や経済力、運営能力が問われ、いずれの神社においても成功するとは限らない、だが、様々な形での試みがなされるべきであると思う。

講義名の「神社ネットワーク」とは、「神社を中心としたつながり」である。その「つながり」の在り方やパターン、方法などについても具体的に考えていくという課題が根底にある。さらに「神道教化」という枠組みの中での授業である。神職資格取得には、「神道教化概論」かいずれかを履修することになっている。神社の「教化活動」とは、信者でない人たちへの布教ではなく、すでに氏子さんや信者である人たちの信教の深化を進めるものである。講義のはじめはこのような話だった。

「教化」ということは、共有すべき理念、思想、そこから見出す方向性があるはず。神社の活動である以上、他のNGOも取り組んでいるような、あるいは単一のボランティアとは異なる、神社だからやるべき活動でなければならないのではないかと思った。他の業務との一貫性である。

営利を目的としない特殊な団体による活動の根底には、このような前提があるべきだと思う。このことは以前考えていた博物館の事例と重なる。地域の博物館が地域活性化の核になるには、その活動に取り組み参加する々の間に共通の理念がなかればならないということだ。そこを徹底的に議論しないと継続的で効果的なものは生まれないと思う。

講義開始当初に感じていた、その辺の違和感が講義を通して徐々に薄れていき、自分なりにひとつ糸口が見つかった。土地愛―地域的自然、土地の恵みへの感謝、氏神信仰である。そのような共通意識を強化し、行動につなげること。

宇宙的規模で想定する自然、それを前提とした閉鎖的ではない、突き抜けたところにある地縁、つながりである。今後、そこからあらゆる可能性が望める要に思う。宗教といったソフトパワー、非合理的結束は、危険な側面も孕んで入るが、グローバル化社会におけるブレイクスルーになるはずだ。

あくまで神道は、神事や祭祀が第一義だということは理解できる。しかしながら神道が共同体の幸福を願い、地域の自然、土地の神を祀るという義務を持つ機関であるとするならば、このような活動を試みること、最大限努力することが必要に思う。

2009年4月1日水曜日

出雲國一之宮 熊野大社


3月21日

風土記の丘から、さらにバスを乗り換え30分程、熊野大社に着く。近くの温泉宿に荷物を置いて日が落ちかけた頃、参拝に行く。出雲大社と並び、出雲國の大社。『日本書紀』や『出雲國風土記』にも記載がある。

上記のHPにもあるように熊野大社では、原始的な着火道具である燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきぬ)を、出雲大社の國造に授け渡す「亀太夫神事」がおこなわれる、「鑚火祭」という独特の祭りがあるようで、ぜひ見てみたいと思った





 
 






立派な神楽殿。




風土記の丘の近くにある、神魂(かもす)神社では、先の「鑚火祭」が中世から古代にかけて行われていたという。出雲大社と熊野大社との仲立ちをする神社であったようだ。この神魂神社は、日本最古の大社作りの建物で、国宝に指定されている。今回、この神社を参拝しなかったことが悔やまれる。