2010年1月9日土曜日

東京花祭り

昨年の12月5日、「東京花祭り」を観てきた。伝統芸能の伝承をテーマにした大学の授業で、愛知県奥三河地方の花祭りを紹介してもらい、興味を持った。

花祭りについては、読了していないが早川孝太郎『花祭り』にも詳しい。

「花祭り」は、「冬至」の前後、太陽の復活を願って行われる「霜月神楽」の一種とされ、天竜川水系に700年にわたって継承されている神事芸能である。

当初は、湯立てと清め中心だったが、「伊勢神楽」や「諏訪神楽」を取り入れながら、400年ほど前に現在に近い形態になった。


花宿の清めから始まり、神迎え、湯立て、宮人の舞、青年の舞、稚児の舞、鬼の舞~神返しまで、ほぼ一昼夜をかけて行われる。

八百万の神々を勧請し、諸願成就、厄難除け、生まれ清まりを祈願する。


昭和51年には国の重要指定文化財に指定され、毎年11月から3月の上旬にかけて郡内15ヵ所の地区で開催される。

【参考】「奥三河の花祭り」北設楽花祭保存会(東栄町教育委員会)発行のパンフレット


東京花祭りは、東京の有志の会の人たちが、奥三河の御園の人たちに舞の指導を受け、東京の商店街の広場で行われる。今年で17年めというから驚きだ。

東京花祭りのように、氏神様を祀る土地から離れた場で、神事芸能が行われるとはどういうことだろう、祭りにおける「神聖さ」や神事の意義はどうなるのだろう、と漠然とした関心を持って観にいった。

青年の舞は、初心者の私が見ても力強く、見事で感心した。その時、奥三河の御老人の一人が、客席の人に「17年間、私が教えたんだよ」と嬉しそうに、得意げに話していたのが印象的だった。

舞を舞う、6、7歳の子供から少年、青年、そして指導する老人まで、あらゆる年齢層が表舞台に立ち、ときに裏方に回り、祭りを盛り上げている。小さい子供を肩車して登場する青年たち。舞の最中にも見守り、指導をする老人。とても良い光景だった。そして、祭り全般に感じられたのは、幼い子供を大切にしていることだ。共同体にとって子供は宝だと実感させられた。


ひとつ違和感を覚えたのは、若い人たちが缶ビールを片手に、飲みながら祭りを運営、あるいは舞を舞っていること。だが、参加者も運営側もなく、無秩序に楽しみながらというのが祭りの本来の姿なのかもしれないし、実際現地の花祭りもこのような形で盛り上がるのかもしれない。

単にこの違和感は、商店街の広場の一角にある特設ステージのような空間で、観客と舞台という状況設定だったからなのだと思う。おとなしく「観客」になってしまっているこちら側の感覚であったのだと思う。

それから私自身の意識の問題だ。宮司である父が、祭りを運営する側である役員さん、神輿団体の人たちに、人を迎える側であるのだから、飲酒で盛り上がるのは無事に終了したあとと、厳しく言っている。


そんなことはともあれ、真剣に舞を練習し、あそこまで熟練した舞を披露する会の人たちと、奥三河の人たちの情熱に感動し、伝統芸能の継承と、都市と地方の人たちとの交流が一体化しているこのような取り組みに、大きな可能性を感じた。

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