2010年9月18日土曜日

鎌倉 御霊神社の例祭

9月鎌倉市坂ノ下に鎮座する御霊神社の例大祭。御厨を開拓した鎌倉権五郎景政の命日である918日に斎行される。 本殿前では鎌倉神楽(湯立神楽)が奉納。神輿渡御には、神奈川県の無形文化財に指定されている「面掛行列」が続く。日、御霊神社の例祭を観た。鎌倉市の長谷にある。

御霊神社は、鎌倉時代以前から鎌倉にあった、平氏五家の祖を祀る神社とし「五霊神社」と呼ばれていたが、五家のうちの一つ鎌倉権五郎景だけを祀るようになり、御霊神社となった。通称、権五郎さんとも呼ばれるそう。

公の命日とされる918日の例大祭には、県の無形文化財に指定される「面掛行列」が行われる。「総勢10人で、前の8人が爺、鬼、異形、鼻長、烏天狗、翁、火 吹男、福禄寿の面をつけ、その後に黒紋付の裾模様におかめの面をつけた産婆が続く」そうだ。









笹の葉に湯をつけて、参拝者に湯をまく、湯立て神楽。







面をかぶった神職さんが、飴をばら撒いたりしながら、ときにユーモラスに舞う神楽。見ている人たちからもたくさん笑いや歓声が聞こえ、祭祀を執り行う神職さんと参拝者との一








境内にある末社の石上神社の大神輿。説明板によれば、7月の例祭では、昔はこの大神輿を沖合いまで泳ぎ漕ぎ出したが、現在では小神輿を船に載せての海上渡御となっているそう。海上のお祭り、是非見てみたい。







正面に江ノ電が走っている。住宅地を抜け、踏切を渡ると境内がある。踏み切りの音、電車の走る音がのどかに響いていて、どこか懐かしい雰囲気の良い場所だった。そして、境内には樹高20メートル、樹齢350年の、巨大なタブノキがずっしりとかまえていた。

2010年8月23日月曜日

篠原住職の講演記録~「無縁社会(孤立社会)から有縁社会への回帰」

8月7日「第2回神儒仏合同シンポジウム」(神田明神)での、篠原鋭一住職の講演~「(テーマ)無縁社会(孤立社会)から有縁社会への回帰」について、印象に残ったことを記録しておく。

篠原住職は、千葉県曹洞宗長寿院住職であり、「NPO法人 自殺ネットワーク風」 の代表である。「死のうとしている人をなんとか生の方向へ」という強い気持ちで、自死志願者に対する支援活動を20年続けてきた。

住職自身の経験、自死志願者との直接的な対話を踏まえ、自死志願の本質的原因である「無縁社会(孤立社会)」を、「有縁社会」へと移行させるという方向性を示し、今後の課題を提示した。なお「無縁社会(孤立社会)」は、住職によると「血縁・地縁・社縁が断絶することにより、人間関係が薄くなり、孤独・断絶・孤立という苦悩が持つ人々が増えた社会のこと」である。(シンポジウム資料より)



近年、相談数は急激に増加し、少なくとも月に15本は「もう限界だ」という電話を受けるという。こうした自死志願者の「心の弱さ」などがよく指摘されるが、そのような社会的偏見こそ、自殺のなくならない社会の本質的原因である。自死は自死志願者本人の問題ではなく、この社会の連帯責任である。我々自身が意識を転換させなければならない。

例えば、月に3~5回は、活動を批判する電話がくる。「死にたい人間は死なせておけ」、「それでラクになるならいいではないか」といった類のものだ。

住職はそのうち、数人の孫がいるという男性にこう返したという。「お孫さんがもし自殺したいと仰ったら、『それでラクになるなら死なせておけ』といえますか」と。男性は怒り、当然否定する。そう、所詮は他人事である。このような「他人事」という意識では、絶対に自殺は減少しないし、なくならない。

ちなみに、各鉄道会社への抗議活動もしているという。電車での「人身事故」のアナウンスをどうにかして欲しいという要求だ。私も身に覚えがあるが、利用者から「迷惑」という意識や言葉が生じる。そういった世間の言葉を聞くことになる、自死遺族の方々の心情に配慮するべき、という考えからだ。



住職は、「自殺」と「自死」とをわける。自殺は、三島由紀夫のように納得し、覚悟の上で死を選ぶこと。だが、電話をかけてくる自死の志願者のほとんどは、「できることなら生きていたい」と願っている。そして、自死へ向かう人々の経路を以下のように示す。「社会的構造からくる多重苦」→「存在・生存が否定される」→「孤独」→「孤立」→「自死念慮」→「自死の決行」(上記資料より)

「孤独」は、家族や友人、周囲の人たちとの関わりの中で乗り越えられる。「孤立」は人とのつながりを持たない。それゆえ「孤立」からの解放が生存への意欲を生むのである。



自殺者数の増加から、マスコミがよく取材に来る。だが数値ばかりを伝えて、本質的なことを追求しないことが非常に不満だという。

最近でも、高齢者の100歳の老人の行方不明をさかんに報じているが、ここ最近起こったことではない自死志願者のひとり、77歳のおばあちゃんは、近くに7人の子供がいるが、4年も会いに来ないと語る。住職が連絡を取り付け、何とか子供達との絆を再生しようとするが、当人たちは迷惑がり、やはり困難だという。住職宛に詠んだおばあちゃんの短歌がとても悲しく響いた。

また、秋葉原事件に関連して、自死志願者の若者には3通りあるという。1、他人への暴力願望を持つ人。 2、戦争願望を持つ人 3、静かに消えたいという人。このうち暴力願望を持つ若者は、秋葉原の事件の加害者の感覚がとても分るのだという。 



実際の支援活動において、自死志願者に対しては、ただ黙って聞くという。最初は双方黙ったまま、とても長い時間が過ぎる。そして寺の部屋から見える、木々や山の静かな景色に、「落ち着きますね」と言う。何も話さなずとしても、必ず次に会う日時を明確に決め、待ってるということを伝える。待っている人がいるというだけでよいのだ。

人は生きていれば迷惑をかけざるを得ない。それゆえ迷惑を受けるべきなのである。宗教者にはぜひ、話を聞く側になってほしい。社会苦をみつめて実践、行動すること。慈悲業としての福祉、という考え方である。そして一番大切なのは、やはり人とのつながりであると、最後に改めて訴えた。



*篠原住職による、シンポジウム資料から「今後の課題」を引用しておく。

「 1.中学生、高校生くらいから『いのちの重さ』『いのちの大切さ』についての教育をしましょう。
 
 2.地域コミュニティの再生。祭やイベントによって地域社会で共生する。お互いの顔が見えるような環境を作りましょう。
 
 3.『自死を考えている人』『うつ病で悩んでいる人』『自死遺族の方』に対する偏見や差別意識を持つ地域社会を作ることはやめましょう。
 
 4.いつでも気軽に相談できる窓口や安心して話のできる相談員を市町村に増やしましょう。電話一本あるだけで多くの人々が相談できます。 」



*「NPO法人 ネットワーク 風」の活動では、複数の寺院連携して窓口となり、講習会なども開いている。以下、関連記事。

2010.2「西日本新聞」
2009.10「中外日報」
2009.12 萬屋拳さんという方のブログ「自殺防止お寺の取り組み」

2010年8月15日日曜日

「第2回神儒仏合同シンポジウム」(神田明神)

8月7日
神田明神で行われた「神儒仏合同シンポジウム」(実行委員会  神田明神、湯島聖堂、東方学院)に参加した。

平成20年の秋葉原の無差別殺傷事件をきっかけに、翌21年、3法人による第1回が行われ、今回は第2回となる。現代社会における人と人の繋がりの希薄化、人々が孤独に追いやられる現状を問題視し、この活動を通して「心の社会貢献」、神仏儒の相互理解と協調を目的としている。
 
今回は「いのちを生きる」というテーマで、自殺や都会の孤独死を少しでも減らすために、「いのち」の大切さ、「いのち」をどう生きるかということを、神儒仏の歴史と伝統に基づき考えるというものだ。
(シンポジウム資料、参照)

 
まず儒教から、加地伸行先生(立命館大学)による講演、「日本人の真の宗教心―儒教の宗教性」。儒教はその道徳性を言われるが、儒教の宗教性こそ見直されるべき。要するに、他の多くの宗教と同様に死についての語りが、その「家族道徳」の根底にはある。先祖から我々へ生命の連続性、先祖と繋がっているという実感を、幼少期から生活の中で持たせるべきである、と。例えば仏壇に家族で祈る,、対話する(子供がダンボールで作った祭壇でも良い!)という習慣が大切である、と。他宗教の死生観や宗教的行為の実例など織り交ぜながら、非常に分りやすく力説されていた。また、現代人の個人主義、家族の解体を(民法の内容も絡めて)痛烈に批判、問題視していた。


仏教からは、篠原鋭一住職(曹洞宗長寿院、NPO自殺防止ネットワーク「風」理事長)。テーマは「無縁社会(孤立社会)から有縁社会への回帰」。20年間の自死念慮者との対話活動を通しての報告、マスコミや世間、宗教者への訴えが中心だった。自殺は社会の「連帯責任」であるという意識がないと、他人事とみなしては自殺はなくならないという言葉に、私自身の意識の低さを痛感した。(このあたりの詳しい話は、“自殺問題と宗教的実践”という重要なテーマなので、別に記録したい。)

「無縁(孤立社会)社会」を、人間関係の希薄化によって孤独、断絶、孤立という苦悩を持つ人々が増えた社会と捉え、命の重要性の教育、地域コミュニティーの再生、相談窓口の増設等々、「有縁社会」に転換するための課題を提示。さらに仏教の伝統から、「自利利他」「自他人不二」といった人間観や、仏教は自殺をどう考えてきたのか、仏教が自死を認めるとき等々、解説。そして「慈悲業としての福祉」、宗教者の実践を強く訴えられた。


神道からは、三橋健先生(國學院大學)。テーマは「なぜ『いのち』は大切なのか―神道の立場から―」。冒頭に出雲大社の境内摂社である「命主社」と御神木である樹齢1000年のムクノキ、「伊能知奴志神」を紹介。ちなみにこの神様は、「人の命はどんな宝よりも尊いことを説く」という。そして神道の「伝統的な生命観」を、「みこともち・・・よさす」の「よさす」という語を通して解説。命は神から「授かった」のではなく、「よさされた」のであり、命を通して人間と神様はそののちも繋がっているという。この内容は、三橋健、『神道の常識がわかる小事典』(PHP新書)、第6章「神道の基本理念」に詳しい。また、神道は言葉ではなく体で感じないと理解できない、人間と神、あるいは人間同士のつながりも、祭での協働や神輿を担ぐことによって生まれるのではないか、と話された。


3つの講演と意見交換でコーディネーターをつとめた武田道生先生(淑徳大学)は、八王子市にある浄土宗龍泉寺の住職であり、宗教学がご専門。地元八王子市での新、旧住民の軋轢などの問題に触れたり、地域共同体の再生などに話題を向けたりと、コメントや質問が関心に近く、もっと議論が発展すればという期待を寄せて聴いていた。

なかでも先生方に、神輿の単なるかつぎ屋について、行事における宗教性の有無について意見を求め、三橋先生は「神様が判断」と返される一方、「宗教性がなければ単なるイベント」と、篠原住職は切り捨てられた。この点、住職は特に厳しく現状を批判し、映画「おくりびと」を例に、宗教性のない葬式は形だけであり、送られる安心感は宗教性があればこそだと発言された。


フロアからの質問も取り入れた意見交換では、葬式の方法や家族のつながりの重要性、再生などに話が及んだが、地域共同体での伝統宗教の役割という流れでまとまった。現代の日本社会では、共同体での(各々が役割を担う)生き方を学ぶ場がない、人間教育の問題が根底にある。地域での祭や宗教的行事を通して教育の役割が担えるのではないか。また、死をめぐる社会問題に対して三教の特色ある生命観、死生観なりを説いていくことで、実践的な力になるのではないか、など伝統宗教の役割や可能性を指摘した。最後に武田先生が、都市化と家族の解体、地域社会、家族の崩壊に歯止めをかけるには、今がぎりぎりの時ではないか、という危機感を熱心に訴えた。

全体に学術的ではなく、一般の方向けに分りやすい内容だった。先生方の熱心な姿勢からシンプルに伝わってくるものがあった(宗教者としての実践や自殺の問題についてはとくに)。それゆえに、比較的御高齢の方が目立ち、学生や若い宗教関係の人たちがあまりいなかったのが惜しい。このような問題には、社会全体の意識の緩やかな転換が必要であり、宗教者がどのように実践するのか、。今後はますます宗教を超えた連携が目指されるべきと思うのだ。だが今回、神社で自殺や孤独死といった具体的な問題についての講演が聴けたこと、宗教を超えた活動が実施されたことの意義深さを感じた。

2010年4月22日木曜日

自治体政策のこと

院の授業で迎えている天野巡一先生の『自治のかたち法務のすがた』。なぜか大学図書館にもなくAMAZONでも売り切れ。初めてHMVのネット販売を利用した。

天野先生は現在は大学教授だが、武蔵野市の自治体政治の現場にいた方なので、事例も多く、説得力がある。とにかく興味が沸く。

「NPO、自治体政治」という授業。担当は、学部で「EU地域概論」等をやっていた坪郷先生。先生の「地域ガバナンス」についての論文(雑誌「Governance」)で、「市民の政策能力」が必要という課題が提示されており、驚くと当時に無知を痛感、学ぶ必要性を強く感じた次第。

ちなみに、宗教施設(団体)と地域の関係をふまえ、NPOやボランティア団体との連携ということを考えているので、基礎勉強と現状把握のために受講している。

先週の天野先生の話のポイントのひとつが、地方行政における行政と民間の再編の問題、その前提として、

地方政治を担う
①領域論 (公―私)、
②担い手論 (行政:公務員―民間、企業)、
③手法論 (独占―競争)、

・・・①には目的(公益:安全安心安定―収益:経済効率性)が含まれる。

このような対立関係(この中間にNPOがある)があるわけだが、①~③の関係それぞれが、バラバラに論じられてきたのでは?という問題提起。ちなみに全てを分けずに論じれば手法論になる。

①~③を総合してひとつの政策を検討していくということか。


これに関する事例が、民間が公の領域を担うPFI方式。この方式による刑務所運営の例が、山口県美祢市(「美祢社会復帰促進センター」、「社会復帰サポート美祢株式会社」)他数箇所にある。
そして司法分野にも民間委託は進んでいる(ADR)。

公から私へ領域は移行し、担い手も(公務員+)民間へ。ここに競争原理を持ち込んでいいのかどうか。そして法務上の問題は?

急速に進みつつある現状を認識し、その把握の方法をも鍛えなくては。これに関わる水利権の売買問題も、強く危機感を持ったので注目していきたい。

2010年1月17日日曜日

シバシスカレー

平日は仕事と授業で時間がないぶん、今月の休日はほぼ試験勉強とレポートで過ごしているのだが、合間にヨガとカレー作りをしている。一度作ると8人分。3日はもつので、今月は相当数のカレー曜日であった。

このシバシスカレー、毎回作るたびに味とみためが異なるのが奥深い。
(ちなみにインド人シバシスさん考案ゆえこの名前らしい。)

コリアンダー(20g)とクミンシード(20g)の種2種をすりつぶし、ターメリック(大4)、グラムマサラ(大4)、塩コショウをまぜ肉(本来600だが100gで済ませる)をまぶす
⇒玉ねぎをみじん切りにして炒め
⇒そのフライパンで生姜にんにくを炒め、お肉を焼く
⇒それらをブイヨンと月桂樹と共に煮込み、とろみが出たらトマト(2個)とヨーグルトを加える。

手間がかかるのは種つぶしとみじん切りぐらいか。玉ねぎは4人前で2~3個。倍作るのが常なので、4~6個のみじん切りが避けられない。最近はカロチンが取れるだろうと、玉ねぎの一部を人参に変えている。パセリを入れたり様々なアレンジが考えられる。

コリアンダーシードはすりつぶさないまま入れると、口の中に残り、食べるたびにぺっぺと吐き出さなくてはいけない羽目になる。初回はこのめんどうさゆえ、失敗。胃腸に悪いと言われてしまうのは、粗く潰しただけの、この種のせいか。

味がなくて最終的にカレー粉、カレールウ投入という悲惨な結果になったことも数回。まだ完成形がどの味なのか、分からない。カレーはそういう料理なのかもしれない。

2010年1月9日土曜日

東京花祭り

昨年の12月5日、「東京花祭り」を観てきた。伝統芸能の伝承をテーマにした大学の授業で、愛知県奥三河地方の花祭りを紹介してもらい、興味を持った。

花祭りについては、読了していないが早川孝太郎『花祭り』にも詳しい。

「花祭り」は、「冬至」の前後、太陽の復活を願って行われる「霜月神楽」の一種とされ、天竜川水系に700年にわたって継承されている神事芸能である。

当初は、湯立てと清め中心だったが、「伊勢神楽」や「諏訪神楽」を取り入れながら、400年ほど前に現在に近い形態になった。


花宿の清めから始まり、神迎え、湯立て、宮人の舞、青年の舞、稚児の舞、鬼の舞~神返しまで、ほぼ一昼夜をかけて行われる。

八百万の神々を勧請し、諸願成就、厄難除け、生まれ清まりを祈願する。


昭和51年には国の重要指定文化財に指定され、毎年11月から3月の上旬にかけて郡内15ヵ所の地区で開催される。

【参考】「奥三河の花祭り」北設楽花祭保存会(東栄町教育委員会)発行のパンフレット


東京花祭りは、東京の有志の会の人たちが、奥三河の御園の人たちに舞の指導を受け、東京の商店街の広場で行われる。今年で17年めというから驚きだ。

東京花祭りのように、氏神様を祀る土地から離れた場で、神事芸能が行われるとはどういうことだろう、祭りにおける「神聖さ」や神事の意義はどうなるのだろう、と漠然とした関心を持って観にいった。

青年の舞は、初心者の私が見ても力強く、見事で感心した。その時、奥三河の御老人の一人が、客席の人に「17年間、私が教えたんだよ」と嬉しそうに、得意げに話していたのが印象的だった。

舞を舞う、6、7歳の子供から少年、青年、そして指導する老人まで、あらゆる年齢層が表舞台に立ち、ときに裏方に回り、祭りを盛り上げている。小さい子供を肩車して登場する青年たち。舞の最中にも見守り、指導をする老人。とても良い光景だった。そして、祭り全般に感じられたのは、幼い子供を大切にしていることだ。共同体にとって子供は宝だと実感させられた。


ひとつ違和感を覚えたのは、若い人たちが缶ビールを片手に、飲みながら祭りを運営、あるいは舞を舞っていること。だが、参加者も運営側もなく、無秩序に楽しみながらというのが祭りの本来の姿なのかもしれないし、実際現地の花祭りもこのような形で盛り上がるのかもしれない。

単にこの違和感は、商店街の広場の一角にある特設ステージのような空間で、観客と舞台という状況設定だったからなのだと思う。おとなしく「観客」になってしまっているこちら側の感覚であったのだと思う。

それから私自身の意識の問題だ。宮司である父が、祭りを運営する側である役員さん、神輿団体の人たちに、人を迎える側であるのだから、飲酒で盛り上がるのは無事に終了したあとと、厳しく言っている。


そんなことはともあれ、真剣に舞を練習し、あそこまで熟練した舞を披露する会の人たちと、奥三河の人たちの情熱に感動し、伝統芸能の継承と、都市と地方の人たちとの交流が一体化しているこのような取り組みに、大きな可能性を感じた。