2012年7月7日土曜日

三輪山 ~山麓からの祈り

狭井(さい)神社―三輪山の登拝口がある―
今年五月、三輪山を登拝した。山そのものが御神体のため、近年まで禁足地だった。現在では、写真撮影、飲食、草花土、石の採取などが禁じられている。

山頂の「奥津磐座(おきついわくら)」は、標高467,1m。狭井神社の登拝口から、途中、禊場もある三光の瀧~中津磐座(なかついわくら)~烏山椒の林~椎・樫の樹林~高宮(こうのみや)神社と続く。片道40分ほど、なだらかな山道を登る。川沿いを清掃する人たちの姿もあり、よく手入れされた美しい自然が残る。

すれ違う「登拝者」の人たちと挨拶を交わし、ふつうの登山さながら。素足のまま黙々と登る人もいれば、友人同士、家族、カップルでおしゃべりしながら楽しげに歩く人たちもいる。奥津磐座では、講の人たちであろう一行が神饌を並べて供え、手を合わせていた。


―かつて古代人は、麓から祈りを捧げた。西山麓の「馬場山の神遺跡」をはじめ、山麓各地で発見された祭祀遺跡が、それを物語る。神道考古学を提唱した大場磐雄の著、『まつり』にもそのことが書かれている。

「古代人はこの神聖なお山にたいして、麓の随所に斎庭をもうけ、この霊を招いて奉斎した」。

―そして仏教の伝来により、山麓から山頂へと、山の祭祀のかたちが変化していく。

「日本の山崇拝の初期にあっては、山麓奉祀が主であり、後世仏教が習合してから山頂に登拝する風習が起こったと考えている…親しく山頂をきわめ、山霊に接するを目的とすることとなった」。
 
その象徴的な例が、日光男体山の祭祀である。栃木県宇都宮市の臼ケ峰という丘に鎮座する二荒山神社は、日光市の男体山を遥拝(ようはい:遠方から神のいる方向へ拝む)する神社でもあるという。一方で、男体山山頂の祭祀遺跡には、多くの仏具が出土している―。


三輪山を登りながら、遥か遠方から拝んだ人たち、麓の磐座からこの山を崇めた人たち、最初に禁足の山に入り、参拝した僧たちのことを思った。徐々に、気軽に土足で踏み入れることが、後ろめたいような畏れおおいような気持ちになっていった。 「親しく山頂をきわめ、山霊に接する…」。どれほどの覚悟や目的があっただろう。

時を経て、祭祀や祈りの形は変わる。人によって信仰の在り方もさまざまだ。ときに私をその場所に埋め込み、何かを求める。一方で、祈りの場そのものを客体化して「観光」する。 「聖地ブーム」はその両側面を含んでいるだろう。

実際、人間の在り方は変われど、多くの霊山や聖地はそのままに存在している。その尊さを思う。せめてその場所に踏み込んだとき、祈りの歴史のなかで、私の立ち位置を自覚しよう。心身を澄まして、古代の人たちへの崇敬の念をこめて。

磐座神社―少彦名の命を祀る。山麓にある辺津(へつ)磐座のひとつ。自然石のみ、社殿はない。


*下山は16時まで。登拝のできない日あり。大神神社HP→ http://www.oomiwa.or.jp/
 最寄の三輪駅にはコインロッカーなし。登拝口の脇にロッカーがありますが、小型(標準)サイズ。
 土日はそれなりに参拝者が多いので、空くまで待つ状況も。私は奈良駅のロッカーを利用しました。







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