2012年7月12日木曜日

齋藤茂吉


けだものは 食べもの恋ひて 啼き居たり 何といふやさしさぞこれは  (『赤光』 大正一年) 



先月、『茂吉再生―生誕130周年 齋藤茂吉展―を見たのを機に、歌集をぱらぱらと読む。十代の頃読み、心に残っていた歌人、齋藤茂吉。医者として多忙を極めながら、その日、その瞬間を歌に表現していく生き方―。

『赤光』、『あらたま』、情念、生命―歌の底に流れているイメージは、彼が精神科の医師だったことにも起因するような気がした。人間の精神と向き合う目は、おのれの心の深奥をもじっとみつめ、それを写実することで正常を保ち、生き延びてきたようにさえ思える。隠そうとしても心情が滲み出てくる歌の数々は、ときに痛々しい。生きることの痛みが溢れ出て、観ているほうの痛みと重なっていくような気がした。

そのなかで、3年ものウィーン、ミュンヘンでの留学、ヨーロッパ訪問の歌からは、異国の地での茂吉の胸の高まりが伝わってくる。


空のはて ながき余光たもちつつ 今日より日が アフリカに落つ (大正10年 紅海)

奴隷らも 豪富のひとも かぎりなく 生を愛しみて 此処につどひき
(大正12年 ポンペイ 遺跡を訪ふ)

 
しかし、留学中に実家の脳病院が火事で全焼、多くの死傷者を出す大惨事となった。その後の厳しい再建の道のり…欧州の留学先から送った、書籍数千冊の焼失。


焼けあとに われは立ちたり 日は暮れて 祈りも絶えし 空しさのはて (大正14年 焼けあと)



さらに、その後も続く苦難―戦時の文学者への責任追及。夫人のスキャンダルと別居。30歳下の弟子との恋…諦念と恋情で葛藤する苦悩の日々。老いゆく焦りと哀しみ。病との闘い。世間を離れ、静かで孤独な故郷、東北での療養生活―



わが体机に押しつくるごとくにしてみだれ心をしづめつつ居り  (『暁紅』 昭和十年)

若人の涙のごときかなしみの我にきざすを済ひたまわな  

山なかに心かなしみてわが落とす涙を舐むる獅子さへもなし (『暁紅』昭和十一年) 

とめどなく 心狂ひて 悲しむを いだきて寝し われに聞かしむ (『寒雲』昭和十三年)


―何時でも、そして死の前年まで歌をつくり、衰弱し死にゆくおのれ自身の生を写し続けた(昭和二十八年、71歳で没)。


印象的な写真があった。晩年、故郷、東北の川べりに座り込み、遠くを見つめる横顔と、雪山に立ちすくむ孤独な後姿である。


最上川の 流のうへに 浮かびゆけ 行方なきわれの こころの貧困 (『白き山』昭和二十二年)



展示では、少年時代と老年に描いた動植物のスケッチもあった。素直で穏やかな心、微細な部分にまでいきわたる観察眼による描写―。写実性と主観の表現(「写生」=生を写す)を追求した茂吉の精神が表れていた。そして、茂吉の波乱の人生の末に、少年時代に通じる心の安らぎをみた気がして、なんだかほっとした。



「神奈川近代文学館」―港の見える丘公園を抜けてたどり着く閑静な館。ふらりと散歩するにもよい。遠藤周作、小泉八雲展なども心に迫る充実の内容だった。

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