2012年10月29日月曜日

野田雅也写真展「Rebuild 大槌造船記」

新宿のコニカミノルタで開催中の、野田雅也さんの写真展「Rebuild 大槌造船記」を観てきた。震災から一か月足らずで動き始めた船大工さんたちの姿を追った写真展。

震災後の4月から時系列に写真が並び、キャプションには日時だけが刻まれている。時の経過とともに彼らの表情が明るく活気を帯びていくような気がした。大きな船に向かう、手足のずっしりとした踏ん張りと、豊かな表情。タバコをふかし笑いあう、弁当を食べる「日常」のひとコマひとコマ。男性たちの労働の姿は、肉体と道具さえあればといった自信と、仕事への誇りに満ち、失われたものや瓦礫を背景に押しやって、圧倒的な存在感だった。

素人でも興味深く観れる(!)完璧な構図と、印象的な色彩のコントラスト(淡い墨絵のような山海や全体の無彩色と、船の塗料やレールの錆の鮮烈な赤!)。それゆえ、映画のワンカットのようでもあり、またその奥に、厳しく悲しい現実のストーリーが感じられて、胸の奥まで迫ってきた。

そして、トーンが変わり、静謐さが漂う最後の二枚。花咲く桜の木の下に立つ若い船大工。こちらを見つめるたった一枚の写真である。存在だけで何かを語っているような。そして、海に向かって手を合わせる男性の姿を静かにとらえた最後の一枚に、祈るような気持になった。

現場の音が聞こえてくる写真群。31日まで。必見です。


(会場でお会いした野田さん御本人や山本宗輔さんにエネルギーをいただいた。迷うなら動いた方がいい。信頼できる方々とのちょっとした会話や交流だけで、次に進む勇気がもらえたりする。)

2012年10月19日金曜日

船田玉樹展

http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/s/u/e/suesue201/flowers_image_of_evening.jpg
「花の夕」 (1938)四曲一隻屏風180.0×359.3cm


9月2日、練馬区美術館で開催された、「生誕100年 船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―」展を観てきた。

   
*船田 玉樹 (1912~1991)は、広島県呉市に生まれ、広島洋画研究所で油彩画を学んだのち、速水御舟に入門、その後、小林古径に師事。 東洋の古典をもとに、シュルレアリスムの手法も取り入れ、多彩な作品を展開した。 

名も知らぬ画家であったけれど、私をよく知る陶芸家の友人に強く勧められ、どうしても行きたくなって足を運んだ。日本画の展でこれほど興味深く、感動したのは初めてかもしれない。展示室に一歩入った瞬間、巨大な屏風に描かれた満開の花に圧倒される。

枝が無数に伸びた桜や松の画は、試行錯誤を重ねた構図と独特な視点で描かれ、その繊細さと美しさに溜息が出る。一面の紅葉の画は、美しい赤のオーラをもわもわと発していた。植物や風景がみな霊性を帯びているようで、描き出された世界に吸い込まれ、しばし呆然となった。油彩画だけではない。小さなガラス絵やコラージュ作品の、色彩とかたちのセンスにときめき、魅せられる。

「もっと真裸になつて、泥まみれになり、のたうちまわつてよいのではないか。
どんなにしても君のものはなくならない。そうすることで生長するのだ。」

師である速水御舟の言葉にぐっときた。彼の一連の作品に通底する深み、激しさ、もがき、泥臭さと重なってるような気がした。そして、私自身の、どんなにしてもなくならないものってあるだろうか、何だろうかと思ったり。

2012年10月15日月曜日

厳島神社の能舞台、そして陶片

江戸時代、1605年に福島正則が常設の能舞台を寄進。国の重要文化財。


8月18日、強い日差しの中、朝のフェリーで宮島へと向かう。
島の店はまだ閉まっていて、厳島神社の境内や、満ち潮の浜をただ歩いた。宮島に来るたびに、20代の初めに祖母と訪れたときのことを思い出す。あれから10年以上経った今でも、牡蠣うどんを食べた店、珈琲を飲んだ店が変わらずにある。宝物館を通れば、「平家納経」がレプリカで、悔しがる私に、「平家納経」の絵葉書セットを買ってくれたことを思い出す。

そして、国内で唯一、海に浮かぶ厳島神社の能舞台―。能の舞台に立ち、謡の先生でもあった祖母が、一度は見てみたいと言っていた。ここでの薪能はどれほど神秘的だろうかと想像してみる。篝火の映る海と、山々そんな背景をも取り込んだ能の世界―。




そして、陶片。ほんの2時間程度探しただけで満足の収穫。潮が引くまで待てば、もっと拾えたはず。主に江戸期のものと思われる。中国陶磁も拾えるそうだから、また必ず行かなくては。