2013年2月13日水曜日

あさゆきさんの日記

あさゆきさんの日記 より。似顔絵師のみなさんの東北・宮城での活動。描いてもらった似顔絵を手にした皆さんの笑顔が、とっても嬉しそう。(描いてもらうとほんとに嬉しいのです。)「自分にできる ことが何かある」と、石巻で私を描きながらさらりと言った、朝村さんの言葉はとても説得力があって、心にすとんと落ちた。励まされたのでした。

2013年2月10日日曜日

映画 『阿賀に生きる』


20年前に製作されたドキュメンタリー映画、『阿賀に生きる』を観てきた。
若い7人の撮影チームが3年間、阿賀野川沿いで共同生活をしながら、川と共に生きる地元の人たちの畑仕事を手伝い、酒を飲み交わしたりしながら撮った作品である。当時、全国の賛同者のカンパで製作が始まり、佐藤真監督のデビュー作として世に出され、数々のドキュメンタリー賞を獲得した。佐藤監督は、5年前に逝去。このたび風化したフィルムを復活させるプロジェクトで、再び上映の機会を得たそうだ。 



フィルムの中、阿賀野川が基層低音のようにずっしりと緩やかに流れている。稲刈り、川舟づくり、餅つき、鉤釣り…、人々の身体や存在そのもの、雪の降る景色―、すべてが阿賀野川の流れとともに動いていた。そして、観てる私の”今”も同化していく気がした。ラストで撮影隊(画面には映っていない)が、老夫婦の穏やかな笑顔で見送られるシーンには、こちらも名残惜しくなって、しんみりとさせられるのだ。 けれど、ふとわれに返れば、ほんの20年前の映像が、懐かしさよりも遠い過去の記憶のように感じて、少し寂しいような複雑な気分におちいる。

また同時に、流れながらも重なって刻まれてく時間を、人々が築いてきた川辺の生活文化から、たわいのない会話から気づかされるのだ。風や水、気候、自然を読み、扱う技術―。自然への感謝と畏敬。船出の神事の祝詞には、人々の川への思いと、船くりを教え教えられる人間のドラマがよみこまれていて、じんわりと心に沁みた。




そして、『阿賀に生きる』で映された水俣病―。彼らが被害を訴えるシーンはほんのわずかしかない。未認定患者だというおばあちゃんは、変形した手を出して、使いものにならんと言う。向かい合うおじいちゃんは、感覚がなくて大火傷した足を見せて、よう出かけられん、と言う。世間話のように生活の不自由さを言い合う。工場操業時に、 強烈な匂いがしたという有機水銀の垂れ流し現場も、皆の生活の川である。日常に見え隠れする、公害の怖さ、被害者の怒りとやるせなさ。原発事故で生きる土地を損なわれ、不安に覆われた福島の状況を重ねずにはいられない。多くの痛みを内包しているドキュメンタリー。


『阿賀に生きる』公式HP→ http://kasamafilm.com/aga/

2013年2月9日土曜日

シンポジウム「3.11後の日本社会と宗教の役割」


2月9日、大正大学でのシンポジウム、「3.11後の日本社会と宗教の役割」(財団法人国際宗教研究所宗教者災害支援連絡会共同主催)に参加した。

被災地で支援活動をされてきた宗教者の方々の報告、そして仏教、神道、キリスト教、新宗教といった信仰や組織の枠を取り払った議論から、このテーマにおける宗教界の課題、それに向き合う私自身の立ち位置なども考えさせられた。

なかでも、移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を携え、各地の仮設住宅で傾聴活動を続けられた、金田住職のお話には学びが多かった。 強い御意思を持ちながら被災者の方々に寄り添う姿は、ユーモアがあって柔らかで温かかった。


被災地の活動の場では、意識的に宗教色を排除するという。だが、「傾聴」は、あくまでお寺での普段の仕事と同じであることを強調されていて、宗教者だからこその活動でもあると感じた。実際、宗教者の傾聴は、相手と立場を一体化する点で、立場的に相対して傾聴する、カウンセラー職の方々とは異なると語られた。「共感」ということか。

また、お地蔵様のような習俗化した資源、その 土地の精神風土に基づく宗教的資源が、人の心にいかにすーっと入り込み、安らぎを与えるかということにも驚かされた。紹介された地蔵づくりのボランティア、亡くした家族を小さなお地蔵様に重ねて涙を流す人たちの姿には胸を打たれた。
 
一方で、他のボランティアとの連携や訪問の時期やタイミングにとても神経を使っていること、現地の宗教者の方々への気遣い、また、震災直後の弔いの活動などが前提にあることなど、気持ちや勢いだけではできない活動の困難さがあり、的確で冷静な判断力や行動が求められると知った

住職が力強くおっしゃっていたこと徹底的な現場主義からたちあげていく宗教観―。では、そのなかで宗教史上の先人たちの教えや古の人々の積み上げてきた宗教的な伝統や慣習、思考を、どう生かして新たに紡いでいくのか―。宗教はその意味で、歴史のうえでの生きモノのように思う。そして、場所性」。 生死の境のような「宗教的なもの」が強く発されている東北の地でしかもこの状況下自分の中での宗教性がぼんやりと輪郭を現したかもしれないが、はて日常を過ごす地域に戻ったら…。 いずれも信仰の普遍性ということに思考が至った。


そして最後に、何より現場に赴く宗教家の方々の言葉から、未来が一瞬で 絶たれてしまったひとつひとつの命を思うこと―ひとつひとつの人生、物語に耳を傾けること―ときに見失われてしまうこの視点が、宗教者にとって、ぶれてはいけない大切な ことであると教えられた気がした。

また、篠原さん(世界宗教者平和会議日本委員会仙台事務所所長)による「政教分離」や「公共性」への踏み込んだ解釈から、論点がより明確にできたのも収穫 だった。将来の街づくり、社会の仕組みづくりへの積極的な参画、「宗教性」を発揮する努力をすべきとの提言には、子供たち、次世代へ目をむけることの重要性を含んでいて、それを切実に受けとめた。


  ラジオ版「カフェデ・モンク」の記録 ラジオ・カフェ・デ・モンク』 

大正大学。大正15年設立。明治18年設立の天台宗大学が前身。建学の精神は「智慧と慈悲の実践」とあります。

森住卓 写真展「風下の村」

2月9日、森住卓さんの写真展『風下の村』を観てきた。

福島第一原発の事故で汚染されてしまった飯館村の記録。ハッとするほど美しい村の雪景色や、当たりまえの ように生まれでるタラの芽の存在感に、土地が汚されていく理不尽さをいっそう感じた。仕事も畑も牛も日常も失ってしまった飯館村の人たちの怒りや悲しみ が、その目から後姿から全身から、痛いほど伝わってくる。痩せこけて死にゆく牛たちの姿から、われわれは生命や生活について根本から省みなければならない と、迫られる思いがした。
新宿、コニカミノルタにて今月12日まで。





ちなみに数年前の展示で購入した、森住さんのパキスタン カシミールの人々を写したカレンダー、「山の民の祈り」を、(日にちの部分を張り替えながら、)毎年部屋に飾っている。風土と一体となった人々の内奥まで 写すそのまなざしが、とても真剣で優しい。雄大な温かなものに包まれた気もちになれるのです。

森住卓 写真集『風下の村

森住さんのフォトブログ→http://mphoto.sblo.jp/