2013年2月10日日曜日

映画 『阿賀に生きる』


20年前に製作されたドキュメンタリー映画、『阿賀に生きる』を観てきた。
若い7人の撮影チームが3年間、阿賀野川沿いで共同生活をしながら、川と共に生きる地元の人たちの畑仕事を手伝い、酒を飲み交わしたりしながら撮った作品である。当時、全国の賛同者のカンパで製作が始まり、佐藤真監督のデビュー作として世に出され、数々のドキュメンタリー賞を獲得した。佐藤監督は、5年前に逝去。このたび風化したフィルムを復活させるプロジェクトで、再び上映の機会を得たそうだ。 



フィルムの中、阿賀野川が基層低音のようにずっしりと緩やかに流れている。稲刈り、川舟づくり、餅つき、鉤釣り…、人々の身体や存在そのもの、雪の降る景色―、すべてが阿賀野川の流れとともに動いていた。そして、観てる私の”今”も同化していく気がした。ラストで撮影隊(画面には映っていない)が、老夫婦の穏やかな笑顔で見送られるシーンには、こちらも名残惜しくなって、しんみりとさせられるのだ。 けれど、ふとわれに返れば、ほんの20年前の映像が、懐かしさよりも遠い過去の記憶のように感じて、少し寂しいような複雑な気分におちいる。

また同時に、流れながらも重なって刻まれてく時間を、人々が築いてきた川辺の生活文化から、たわいのない会話から気づかされるのだ。風や水、気候、自然を読み、扱う技術―。自然への感謝と畏敬。船出の神事の祝詞には、人々の川への思いと、船くりを教え教えられる人間のドラマがよみこまれていて、じんわりと心に沁みた。




そして、『阿賀に生きる』で映された水俣病―。彼らが被害を訴えるシーンはほんのわずかしかない。未認定患者だというおばあちゃんは、変形した手を出して、使いものにならんと言う。向かい合うおじいちゃんは、感覚がなくて大火傷した足を見せて、よう出かけられん、と言う。世間話のように生活の不自由さを言い合う。工場操業時に、 強烈な匂いがしたという有機水銀の垂れ流し現場も、皆の生活の川である。日常に見え隠れする、公害の怖さ、被害者の怒りとやるせなさ。原発事故で生きる土地を損なわれ、不安に覆われた福島の状況を重ねずにはいられない。多くの痛みを内包しているドキュメンタリー。


『阿賀に生きる』公式HP→ http://kasamafilm.com/aga/

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