2013年2月9日土曜日

シンポジウム「3.11後の日本社会と宗教の役割」


2月9日、大正大学でのシンポジウム、「3.11後の日本社会と宗教の役割」(財団法人国際宗教研究所宗教者災害支援連絡会共同主催)に参加した。

被災地で支援活動をされてきた宗教者の方々の報告、そして仏教、神道、キリスト教、新宗教といった信仰や組織の枠を取り払った議論から、このテーマにおける宗教界の課題、それに向き合う私自身の立ち位置なども考えさせられた。

なかでも、移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を携え、各地の仮設住宅で傾聴活動を続けられた、金田住職のお話には学びが多かった。 強い御意思を持ちながら被災者の方々に寄り添う姿は、ユーモアがあって柔らかで温かかった。


被災地の活動の場では、意識的に宗教色を排除するという。だが、「傾聴」は、あくまでお寺での普段の仕事と同じであることを強調されていて、宗教者だからこその活動でもあると感じた。実際、宗教者の傾聴は、相手と立場を一体化する点で、立場的に相対して傾聴する、カウンセラー職の方々とは異なると語られた。「共感」ということか。

また、お地蔵様のような習俗化した資源、その 土地の精神風土に基づく宗教的資源が、人の心にいかにすーっと入り込み、安らぎを与えるかということにも驚かされた。紹介された地蔵づくりのボランティア、亡くした家族を小さなお地蔵様に重ねて涙を流す人たちの姿には胸を打たれた。
 
一方で、他のボランティアとの連携や訪問の時期やタイミングにとても神経を使っていること、現地の宗教者の方々への気遣い、また、震災直後の弔いの活動などが前提にあることなど、気持ちや勢いだけではできない活動の困難さがあり、的確で冷静な判断力や行動が求められると知った

住職が力強くおっしゃっていたこと徹底的な現場主義からたちあげていく宗教観―。では、そのなかで宗教史上の先人たちの教えや古の人々の積み上げてきた宗教的な伝統や慣習、思考を、どう生かして新たに紡いでいくのか―。宗教はその意味で、歴史のうえでの生きモノのように思う。そして、場所性」。 生死の境のような「宗教的なもの」が強く発されている東北の地でしかもこの状況下自分の中での宗教性がぼんやりと輪郭を現したかもしれないが、はて日常を過ごす地域に戻ったら…。 いずれも信仰の普遍性ということに思考が至った。


そして最後に、何より現場に赴く宗教家の方々の言葉から、未来が一瞬で 絶たれてしまったひとつひとつの命を思うこと―ひとつひとつの人生、物語に耳を傾けること―ときに見失われてしまうこの視点が、宗教者にとって、ぶれてはいけない大切な ことであると教えられた気がした。

また、篠原さん(世界宗教者平和会議日本委員会仙台事務所所長)による「政教分離」や「公共性」への踏み込んだ解釈から、論点がより明確にできたのも収穫 だった。将来の街づくり、社会の仕組みづくりへの積極的な参画、「宗教性」を発揮する努力をすべきとの提言には、子供たち、次世代へ目をむけることの重要性を含んでいて、それを切実に受けとめた。


  ラジオ版「カフェデ・モンク」の記録 ラジオ・カフェ・デ・モンク』 

大正大学。大正15年設立。明治18年設立の天台宗大学が前身。建学の精神は「智慧と慈悲の実践」とあります。

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