733年(天平5)満功の開山、天台宗、山号は浮岳山。もと法相宗。(「広辞苑」)
天平時代は水神と関係のある深沙大王の霊地とされていて、深大寺の名の由来になっている。
平成10年、市指定有形文化財(建造物)の山門。
深大寺は慶応元(1865)年の大火により建物のほとんどが失われ、明治以降に再建。山門は、焼失をのがれた。元禄8(1695)年の棟札が残り、建立年代が明らかに。建物は、一間薬 医門(本柱の後ろに控え柱2本を建て、切妻屋根をかけた門)、屋根は切妻造、茅葺。この門は和様を主調 とするが、禅宗様を併用して、一部に大仏様も巧みに取り入れている。(調布市HPより)
3月3日・4日、
厄除け元三大師祭とだる ま市が行われるらしい。
境内の湧水
深大寺の湧水源は元三大師堂の裏にある崖下からで、境内を潤し山門脇の瀧口から流れ落ち、参道に沿った長い水路をせせらぎとなって流れている。この水路の水は飲むことができないが、境内の井戸水は飲むことができる。(平松純平「東京の湧水」のんぶる舎)
深大寺一体は、武蔵野台地に浸透した地下水が至る所に湧き出していて、先史時代の遺跡が多数発見されている。野川とハケ(国分寺崖線)沿いを散策すると東京の水文化の一部がみえてくる。ちなみに深大寺近くの大沢地区や三鷹の天文台の遺跡もこの水文化と関わるだろう。
この辺の湧き水巡りを昨年して写真を撮ったけれど何だか分からないものになってしまった。先の本はとても写真が綺麗で湧き水の状況もよくわかる。
境内から神代植物公園側に登ったところに咲いていた。冬牡丹。
規模の大きな植木屋が境内周辺にいくつかあった。榊の苗木を探したがみつからなかった。
元三大師の「降魔札」と「利生札」。
「角大師・豆大師」の護符らしい。入口の外と表に張るのだが、部屋の本棚に神社のお札と並べて置いてみた。
かつて元三大師が高野山で護摩修行をおこなっていた時、その真剣な表情が悪人には鬼の 姿に見えて、怖くなって逃げ出した、降魔札の図像はその鬼に化した大師の姿を写したものだといわれている。
ま た、釈尊は修行中に降魔 や女人といった妨害や誘惑に打ち勝って、悟りを開いたと伝えられ、これを「降魔成道」というが、その故事にちなんだ札だともいわれている。
一方、利生札は大師の姿を豆粒のようにたくさん並べて刷った札なので、豆大師と呼ばれている。(柏書房、長沢利明さんの連載ページより)
布多天神社
夕方近くに布多天神でもお参り。札所をみる。どこの神社に行ってもそうなのだが、御守りや御札の値段や御守り袋のデザイン並べ方までついつい意識してみてしまう。
健康に一年過ごせますように。