2009年1月9日金曜日

「現在化された未来」、残りの冬期講習。

雪の予報は外れて神奈川県は冷たい雨。出勤中に養老孟司さんの文章を読み、ああと思った。私のことだと。「現在」とは手帳に書いた予定、予定され決めてしまった未来である、こうすればああなると決められてしまったところで、偶然性に満ちた未知なる未来は現在になってしまう。そして我々は「先のことを決めなければ動かないという困った癖」がついてしまったと。

一月のカレンダーは隙間無く埋められている。来年の仕事も大学の予定もだいたいは決まっている。それをこなしていくだけという安心感がどこかにあるのかもしれない。同時にこの感覚は一週間の予定を確認する時と同様に味気ない。だが実際には当然、数々の偶然事、予測できないことが日常には起こっていて喜びはたいていそこにある。なのでその感覚には敏感にならないようにと最近よく思っていた。

短期的にも目標設定が常にないと動かない、そういう人間になっていたなと思う。こなすことで進んでいた。ああすればこうなる、そして一日、一週間が過ぎる、と。まさに未来を現在化していた。神職につくという明確な目標があるから、現在の生活に道筋があって内容も構成されていて、動いている。

そういえば、「過去も未来も現在だと考えている」と、以前ある友人が言っていた。そのときは首をかしげたけれど今ならいろんな意味で解釈ができる、次回その真意を聞いて話し合ってみよう。

私自身が、そういったつまらない感覚を持つことで、目的意識化された社会を形成する一分子になっているのだと思う。塾講師という仕事も単に学問の基礎知識を提供するだけでなく、ものすごくわずかでも社会形成の一端を担っているように思う。養老さんは、全てを現在化してしまうそういう社会で割を食うのは子供だと言っていた。子供の財産は漠然とした、決まっていない未来である。

そんなことを考えながら学習塾の勤務。この3日間での仕事は冬期講習のフォローである。欠席した子供にその分の授業の穴埋めをする。今日はとくにややこしくて、ひとつの教室で左右のホワイトボードを使い分けながら、小中学生の英検、国語、英語と5,6種類入り乱れて授業をした。おもに演習をやらせて交互に解説や採点をすればよいのだが、あちこちで先生、先生と呼んでくる。これは不可能だと思い「先生は阿呆ですから一気にたくさんのお話は理解できません。」と宣言して、こちらのペースで事を運んだ。そうすると子供も大人しくペースに乗ってきてくれる。焦ることはないのだじっくりやろう、と私自身に言い聞かせるこの感じが伝染すればよいと思った。イライラしたりせず。

それから授業についていけない子供の補講。該当する子供に声をかけ、内容も自由にやっていいという、教室長からありがたい支持をいただいた。3日間3時間ずつ。呼ばれた子供は災難だが英語の猛特訓。野球少年とサッカー少年、3人。こんなに勉強したことはないと言うほどに、毎日、英語の基礎の基礎を演習で繰り返す。悪態をつきながらも、何枚ものプリントと悪戦苦闘。最終のチェックテストでは当然、確実に能力が上がっていた。よくやったと心から思ったので、一箱ずつキットカットを買ってあげた。「またやって」との声に、もうたくさんだと言ってしまったが、互いに充実していたのだと思う。

この社会の枠組みの中で、こんな仕事を通して日常の彼らに接していると、枠組みを変えるというよりも、その枠組みのなかでいかに彼らに喜びや楽しさを与えられるか、ということに力を注いでしまう。養老さんのいう時間泥棒の話に気づき考えられる大人に育つかどうか、こんな社会を変えようという気になるかどうかは、全く別のところで鍛えてくれということになってしまう。本質的な思考はどうやって得られるのか、社会を変えるというのはどの次元なのか、大学で社会科学を学んでいたときよりも、最近は自分の立場なりを前提に、もっと現実に照らして考えてしまう。

ちなみに養老さんの本は「かけがえのないもの」。仕事帰りの本屋で衝動買いした。

2 件のコメント:

  1. わたしは、逆に、1ヶ月に1,2日くらいしか、予定が埋まらず、ノンポリ暮らしている。

    でも、それが、子育て中の、良いリズムなのかもしれない、と考えるようになった。
    朝起きて、天気を見て、ネットのチラシをみて(笑)、今日の活動を決める。

    日差しもあたって、暖かくなったころ、自然の多い公園を、ヨタヨタ歩きの子どもと散策。
    子どもは自然そのものなのだ、と、彼の振る舞いをみて、実感。土を、砂利を、汚れるという意識なしに、ただ、触って楽しんでいる。

    今でないと使えない、こういう時間の使い方なんだと割り切っている。
    忙しい毎日、また、そういう時間の使い方が自分に戻ってくるんだろうな。
    不思議で仕方ないけれど。

    子供の財産は漠然とした、決まっていない未来である。

    素敵な言葉。
    覚えておこう(笑)
    たまに、いけない、とおもっていても、子どもが、こうなればいいな、ああなればいいな、と思うときがあるから 笑

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  2. 子供の行動になんでそんなことしているの?と大人は意味を問いかけたり、疑問に思うけれどそういう行動ができなくなっているという悪癖だね。だから既存の枠にはめないと安心して見ていられなかったりする。認識の枠外だから。いつの間にかそういう感覚が身についてしまっている気がする。意味のない子供の行動は自分を映す鏡だね。本来の姿なのかもしれない。

    でもそんなことを踏まえて子供に道を示してあげたりするのも大人の役目なのかも。親の理想も良い道標だったりするかも。親子なら。

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