2009年3月10日火曜日

「土門拳の昭和」 展

日本橋三越で、「土門拳の昭和」展を観てきた。最終日の日曜日だったせいもあってか、来場者が多くて、全体に年齢層が高かった。

まず土門拳が何度も行ったという室生寺の作品群。体調を崩してから、最後に雪の室生寺を撮ることにこだわったという。(室生寺に日本人が惹かれるのはなぜだろう。偶然、前日に職場と家で二度も話題になった。)

白黒の仏像の写真は背景の黒がとても美しかった。真っ黒がどこまでも深い。完全に光を失った状態の美しさなのだろうか。その効果で横顔の輪郭の線が印象的だった。自分が実物を見るときの視点と、別の角度で見ることで、対象の新たな一面に気がつくし、構図という枠組みの中で、物体が生かされる。そういった写真の面白さが満載だった。それは土門拳の扱う対象が様々だったからだと思う。

縄文土器や銅鐸や信楽焼、昭和のこどもたち、海兵隊の訓練風景(この写真群の構図が面白かった。複数の人間の規則的な身体の動きが、独特の効果を生むのかもしれない。)、大学の卒業アルバム、広島の被爆者のひとたち、60年代の社会運動、柳田國男や川端康成、岡本太郎など著名人の肖像、自然の風景や花、植物。昭和という時代の記録としても興味深かったが、様々なテーマは、土門拳の関心の方向、人生の遍歴をみる気がした。

とくに印象に残ったのが、筑豊の子供たちを撮った作品群。『筑豊のこどもたち』という写真集におさめられている。山からボタを拾い集める子供や、飢えをしのぐために手をつないで立っている父子や、紙芝居に見入る子供たちなど、『ヒロシマ』の写真群もそうだが、単なる記録写真ではなく、心を打たれる。

終盤に目を引いた一枚が、花びらに雫が垂れている白い蓮の花だった。瑞々しいカラー写真。本物みたいという声も聞こえたが、実物と違う次元で美しかった。彼の仕事の集大成だと感じてしまうほど、美しく、際立っていた。

よく知るわけではないが、土門拳は芸術家ではなくジャーナリストなのだろうと感じた。写真へのこだわりや厳しさと同時に、文化への関心や社会問題への意識の高さが、仕事から伝わってくる。人生でのその時々の意識や関心を表現する手段があるのは、継続して記録していけるのは、自身にとって理想的なことでもあると思う。


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