2013年5月25日土曜日

国立新美術館「貴婦人と一角獣」展




  
念願の「貴婦人と一角獣」展を堪能。16世紀フランスで編まれた6枚の巨大タピスリー。背景にびっ しりと編み込まれた植物と動物。それらの配置と、繊細な線と色の絶妙な具合が、文様でもあり植物種を特定できるほどの忠実な描写でもあり…と、タピスリー の複雑な面白さを知る。そして、「触覚」「味覚」…人間の身体の五感を意味する5枚のタピスリーと、「我が唯一の望み」と題された6枚めの意味 するところを思うと、ひじょーに興味深い。その絵をみてると型どおりに「触覚」…→「視覚」→「精神」へという流れや、第六感、五感の統合態というわけで もなさそう。美しい装飾としてだけじゃなくて、編み込まれた様々な要素を楽しんでいたのでしょうか、フランス貴族は。

専修大学社会関係資本研究センター「再生するコミュニティ―伝統・継承・創造―」


専修大学社会関係資本研究センター主催のシンポジウム「再生するコミュニティ―伝統・継承・創造―」、前半のみ参加。祭礼と地域コミュニティについて、 諏訪御柱祭りと祇園祭りを対象にした、ふたつの研究発表を拝聴。それぞれ農村型、地域型の事例でしたが、共通してとくに興味深かったのが、閉鎖的ともいえる伝統的コミュニティが担う祭礼において、時代状況の変化の中で、新規住民がどのように受容され、関わっていったのかという点。その仕組みや、取材を通し て語られた旧住民、新規住民の心境。それから、「祭縁」が普段の地域生活にどう反映されてくかというとっても大切な視点。 
 
同時に、私が直面するであろう神社での課題を念頭におきながら、さまざま考えさせられた。学んで確認した大切なことはやはり、お宮の行事に新規住民を引き込むにしろ、新旧住民と神社との関係性を新たにつくりあげていくにしろ、それらが地域社会へ、個人の生活へどんなメリットを生み出せるか、(あるいはその相互作用)まで念頭におくべきだということ。対話しながら。
ちなみに御柱祭の事例で、既存住民の再組織化という興味深い現象があった。小単位のコミュニティを超えて若者が連携した例。旧組織ほどの権力は持たないまでも、実際機能している。その経緯や目的も気になるところ。

エドワード・S・カーティス 「アメリカ先 住民の肖像」



たまたま通りがかった、フジフィルムスクエアで、エドワード・S・カーティスの写真展「アメリカ先住民の肖像」に遭遇。フロアのほんの一角で、枚数も少ない展示。けれども一枚一枚に強烈に引きつけられた。何よりネイティブの人たちの姿が美 しく気高くて、カーティスの対象への敬意が感じらる。個人的には、陶器を野焼きする女性や、船から葦を刈るようすなど、日常のひとコマを映したものが 気になった。去りゆく彼らの後姿を捉えた一枚には、カーティスの心情が重なって見える気がした。「記録」を超えた、心に迫る写真群。ほと んど「清里フォトミュージアム蔵」。そして、カーティスの写真集も要チェック。

2013年5月7日火曜日

『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編 』展

東京都写真美術館、『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編 』
最終日、走り込みで観てきた。

明治期の北海道・東北の人々の民俗や産業の現場や肖像、写真史からの視点も興味深かったけれど、天災被害の記録には息をのんだ。三陸津波や磐梯山の噴火、 庄内地震…による、家屋や寺社の倒壊も克明に記録されている。全壊した祠を背に、被害を免れた神輿とともにたたずむ男性を映した一枚が印象的だった。

終盤、福島県冨岡町の開拓時代を映す最古の写真があり、「富岡町歴史民俗資料館」について説明書きに記されてあった。福島第一原発20km圏内にあるため、 収蔵品は浪江町に避難中。それゆえこの写真もオリジナルではないとのこと。心が痛んだ。
(同時開催していた『マルコ・ジャコメッリ』展。個人的にはとても刺激的で面白かった。)





「チベットフェスティバル トウキョウ 2013」

大本山護国寺に参拝。そして、本殿や境内で開催中の「チベットフェスティバル トウキョウ 2013」
を観てきた。砂曼荼羅、タンカの美術展、仮面舞踏の特別公演、関連書籍やチベットの衣食の紹介や販売も行われていて、子供連れから御高齢の方まで賑わっていた。楽しみながらチベットの文化に触れつつ、その悲惨で重い歴史を心に留めて、チベットに思いを馳せる。音楽や出店で明るく賑わう境内と、静寂な祈りの場となっている本殿や展示場。主催者や協力している護国寺の、チベットをサポートする姿勢や企画力など、伝わってきた。チベットの森林伐採に関する冊子が置いてあり、政治の問題とともに深刻化する環境問題も報告されており、気になった。