2009年2月26日木曜日

旧満州 公主嶺神社

公主嶺神社についての文献資料には、

公主嶺小学校同窓会編の『満洲公主嶺<写真集>-その過去と現在-』(1988)
『満州 公主嶺 過ぎし日の40年』(1987)の2冊がある。

嵯峨井健氏の『満州の神社興亡史』(1998)での公主嶺神社の記述も、関係サイトの写真や内容も、この資料によっている。

上記の「公主嶺小学校」編の資料は、当小学校出身の方々の当時を語る文章が多数載っている。祭りや戦時の行事といった神社での出来事についてもたびたび触れており、 住民がどのように神社と関わっていたのかがうかがえる。さらに神社の創建や改築なども、公主嶺という土地の変遷のなかで書かれている。

大学図書館の書庫で発見したこの2冊、地図や航空写真、土地の人たちの集合写真、神社や学校、農業試験場(畜産や造林も行われている)等々の写真も充 実しており、当時の公主嶺の様子と神社の位置付けを知るには、とても優れた資料である。

私の曽祖父は満州の神社に奉仕していた。娘である祖母と、婿養子となった神主の祖父、そして父の兄は共に満州で暮らし、「満州事変の前」に引き揚げたという。祖母は10年程前に亡くなり、祖父と叔父は私の生まれる前に亡くなっている。父が知るのは、曽祖父たちが「公主嶺」を拠点としていたことのみである。

本のなかで唯一、
「昭和十年四月、公主嶺神社の第三代神主として森安忠が赴任した。前年に池田(名は不詳)神主が死亡したためであった。森安神主は発展しつつある公主嶺にふさわしい社殿を整備したいと考え、・・・」
(『満州 公主嶺 過ぎし日の四十年』p296)
という記述をみつけた。ここにある「池田(名は不詳)神主」というのが、曽祖父だろうか。曽祖父が死去した後、一家で引き揚げたとすれば年代的にはつじつまが合う。

「公主嶺神社」そのものの記録はないものか。神社神道関係の資料にあたればよいのだろうが、戦後の満州の状況を考えると、記録が残る可能性はあまり無いだろう・・・。

教化活動、日常的な神事、行事も気になる。だが同時に、祖父母が、時代や地域社会、神道について何を考えながら満州の地に赴き、奉職していたのか。当時の満州の人たちはどんな思いで神社と関わっていたのか・・・。当時を知る方々に詳細を聞く術もなく、活字に頼るしかないのだが・・・。

満州での生活を何度か祖母に聴いたことがある(ロシアの影響を受けた食生活、日本兵に能の謡を教えていたことなど)。だが、神社の話を聞けずに他界してしまった。悔やまれる。

ともあれこの神社を基点に、日本史や神道史上の「満州」、「満州の神社」の意味を考えてみたい。そして御先祖の糸に導かれ私自身を投入し、生々しい作業にすることにもまた、意味あることと思うのだ。人間同士の接点から紡ぎだされた糸、そこから広がる過去と現在という歴史の地平が、互いを照らし出すような。(わかりにくいイメージ・・・)歴史認識とはそういうものでないかと思うのだ。時空を超え、他人に身心をいかに寄せるか。





上記の資料に付属していた、「公主嶺市街地」(昭和10~20年)の地図。コピーして、つなぎ合わせてみた。

キリスト教会や寺もいくつかある。そのなかで目立って公主嶺神社の敷地は広く(弓道場などがある広い公園の中である)、駅前の街の中心に位置している。様々な住民の行事を行う公共の場としての神社がある。

宅地を一軒ずつ見ていくと「池田」家があった。祖父母宅なのかどうか、やはり気になる。

2009年2月18日水曜日

下総国分寺と瓦


千葉県市川市の堀之内貝塚から、下総国分寺へ。上は色鮮やかな現山門。下の写真では鬼瓦しか分からないが、軒丸瓦が特徴的。当時よくみられた「蓮華文」ではなく、日本では珍しい「法相華文」が使われている。唐の時代に盛んにつくられた、中国伝来の文様。



市川市、堀之内貝塚の考古博物館に展示されている国分寺の瓦(撮影許可をもらいました)。


昨年、神奈川県立歴史博物館の「瓦が語る-かながわの古代寺院」展で、瓦の製作法や、瓦塔などの様々な種類の瓦を見て以来、瓦がおもしろい。この展示では、地元だがなかなか観るきっかけがなかった海老名国分寺の瓦や水煙、伽藍配置なども見学できて収穫だった。

国分寺といえば、2006年12月に行った、信濃国分寺跡には、瓦製造場の遺構がガラス張りで保存されていた。当時、携帯電話で撮った写真を発見。


発掘当時の写真。

ちなみに「上田市立信濃国分寺資料館」の資料によれば、信濃国分寺跡では「九葉単弁蓮華文」「九葉素弁蓮華文」「十葉単弁蓮華文」の3種類の軒丸瓦が出土している。余談だが、長野の瓦といえばもうひとつ、塩尻市の「平出博物館」にある瓦塔もあまりの大きさに驚く。




そして、下総国分寺からの帰りに寄った伊弉諾神社。住宅地に囲まれており、手入れが行き届いた清々しい境内だった。



2009年2月11日水曜日

陶芸家谷口明子さんの個展。先月、神保町のギャラリー「福果」にて。

緻密で気の遠くなるよう手作業。細かなピースをひとつひとつくっつけて焼き上げるそうな。秩序がなさそうで秩序がある。生物的で細胞のような作品群。皮膚の一部を切り取ったような。それゆえ生命のうねりが底にあって波打っているような。

以前、彼女は「菌」を作っていると言っていたし、土からできているのだから生物的なのだけれど、そこに新たな生命が宿されている。施されている模様や形態が生物的なだけでなく、作り手の技術と精神と情念が注がれて。土とのコミュニケーションは、土の性質を見極める慎重さを要し、相手が拒否しない程度に作り手の主張を思いきり向けていくそうだ。彼女は土と対話し続けているので、面すると地の底近くに時間が流れているように感じる、激しさを内包しつつ静かにゆったりと。







































































































































































































































































































































































2009年2月7日土曜日

仏教と我執

仏教関係の本を読んでいたら、「我執」について考え込んでしまった。
西洋哲学専門の同僚に、西洋にも「我執」ってあるのだろうか聞いてみたら、「自己愛」じゃないかとのこと。ナルシシズム。他者に対する愛情も自己への愛情になっていく、西洋の「愛」について話してもらった。とても興味深くて早速、自宅にあったフロイトの「精神分析入門」のナルシシズムに関する論を読んでみる。

それにしても我執を自己愛として考えると、西洋では我執から離れるとか、我執を捨て去ることを自由への解放や救いだとする発想はあるのだろうか。そういう発想があるから仏教は意識的な我執の根源を求めて、無意識の層での我執の構造を考えたりする。

仏教の唯心論というのは初めて触れた。無限の過去から現実経験を生み出し続け、さらにその現実経験に包括されるようなアーラヤ識というものがあって、そのような縁起の世界を、アーラヤ識から生じた自我意識たるマヤ識が自分のものだとミステイクする。そんな人間存在の根源的なミステイクが、我々の自我意識に根付いているという。西洋哲学のように自己意識が認識の基盤ではなくて。

我執の根源もこのレベルにあるようだけど、発心していない、むしろ我執を楽しみ、無常を観じるには程遠い我々にはわからないところのものかもしれない。無意識的な自我意識など。けれども当然、そのレベルまで降りないと人間の生の本質はわからない。

まずは、我執や自己愛について、発心するとはどういうことなのか、課題のひとつになりそう。専門にしているわけでもないので、単に知識を増やしたり理論的理解は目的ではない。私自身の問題として少しずつ考えていきたい。

玉城康四郎さんの「仏教の根底にあるもの」は、仏教初心者の私でも感動した。50ページ程の同名の論稿は、3回くらい繰り返し読んでようやく、ほんの少し主体的な理解に近づけた気がする、文脈や言わんとすることが。もちろん感覚で内容をつかんだのではなくて。そのうえ仏教用語の知識はゼロに等しいので(「正法眼蔵」を読む講座に4年も通ったにもかかわらず、、、。)、理論的にも細部までの理解とはいえないけれど。何より新しい世界像が開かれていく興奮があった。

2009年2月1日日曜日

パンづくり





ピタパン。
中東の人たちの主食のひとつらしい。















丸パン
ピタパンと同じ生地で作る素朴なパン。ミニサイズ。









久々に焼いてみた。パン職人の妹からの伝授。妹直筆レシピが手放せない。ないと作れない。生地をこねる姿勢から、本に載っていない器具の細かい設置の仕方、オーブンの基本的な使い方まで、順を追って詳細に書いてある。私専用のレシピ。ようやく一人で形にできるようになった。みためは悪いけど味もまあまあ。

よくないことに基本的に料理はしない。だが昨年末、料理に突然目覚めて、インドカレー、アサリ(茸)のリゾットの二品を集中的に作り続けたが、結局、常食にはならずそれっきり。だが、パンは違う。同じレシピを何度も繰り返した、必死で生地を捏ねて修行の趣き。素朴な常食というのはなんとも魅了的。食の基本のような気がしてくる。

そして何より妹の意識の高さ、酵母も生地も生き物なんだという感覚をも伝授され、真剣にならずにいられない。陶芸家の友人が、土作業は人間同士の付き合いと一緒だと言っていたけど、相手の状態をうかがいながら作業を進める、決して強引に自分の主張を押し付けてはいけない、料理も一緒なんだろう。聞き上手の妹や友人の性格もこんなところに表れてくる。その点、砂糖と塩を間違えるとか、分かりやすい多くのミスはおいといて、私自身がよく見える。自分を抑える、レシピに忠実に注意深くとか良い訓練になっている。

基本的な生活の技術や意識に欠けていることが多い。長年何かを言い訳にやらずにいたこと、見失っていたこと。他人任せの癖がついている。活動に優先順位はつけるけれども、バランスは大切で、なかでも食はあらゆる活動の前提にある。生活技術を身につけていこう。実践のみ。そして家具ぐらいひとりで作れるくらいになりたい。文化はいつもそんなところから始まったわけだし。私のためだけではなく、美味しさや心地良さを人に味わってもらおうという精神も貴重なステップアップなんだろう。

もうひとつ、30を過ぎて編み物デビューをした。ほんとうに困難、でも春先までに何とか仕上げる。紺色のチョッキ。

イザベル・コイシェ 「エレジー」

イザベル・コイシェ監督の「エレジー」を観に行く。深夜1時までのレイトショー。さすがに数えるばかりしか人がいなくてがらがらだった。監督の前作までの作品同様、好きな映画になった。彼女の作品には、いつも老いや病や死が、人物たちの日常に隣り合わせにある。そして、状況はとてつもなく重くて暗いのだけれど、必ず小さな救いがある。登場人物はとてつもない孤独を抱えているのだけれど、窓を閉め切らずに誰かを求めている、そして深くて密なところでの接触からほのかな光が見えてくる。監督が女性なので共感できる部分が多いのかもしれない。癖のある人物たちがいつも近しく愛おしくなってしまう。セリフも音楽も、好み。「エレジー」はピアノが良かった。