2009年9月6日日曜日

兵庫県佐用町

8月の台風9号により、大きな被害を受けた佐用町で、仮設住宅への入居が始まったというニュースがあった。住民の方の暮らしに、少しでも快適さが戻ったのは少しほっとしたが、被害の痛みは容易く癒えないと思う。死者が18人、全壊住居が161棟という大きな被害に心が痛む。今回の被害の大きさは川沿いの町、さらに支流の多さという地形の問題もあるという。

災害から復興への道のりは、時が経つにつれ、報道もなかなかされにくくなるのが常だろう。だが、町役場のHPなどで、ずっと気にかけている。

私の本籍は兵庫県佐用郡佐用町。先祖の墓もその地にある。父の出身は兵庫県姫路市。祖母も晩年までそこで暮らした。数ヶ月前、父が家系図のコピーをくれた。それによれば、室町時代から明治三十六年まで、世襲で佐用町の神社の神職を勤めていたとある。ネットで調べると、その神社は今でも残っている。いつか参拝を、と考えていた矢先に今回の災害のニュースが入ってきた。

身近な川が突然襲いかかる恐怖は想像を絶する。また、従来の日常生活が戻るまで、復興には大きな物的精神的エネルギーが必要だと思う。少しでも早い、住民の方々の安心な暮らしの回復を願わずにはいられない。

2009年8月26日水曜日

恐山

8月22日、恐山。

硫黄臭が立ちこめる。空気がひんやりと涼しい。







死者と出会える場所。生と死とが融合する、あいだの場所。境内には仏像や人形、墓石があって、人々の様々な形の祈りに満ちていた。











賽の河原。湖なのに大海原のような、どこまでも続く気がする時空。




大地がいろんな表情をしている。







境内には温泉がある。参拝者の身体を温める。







宿坊で頂いた精進料理。朝夕と頂いたのだが、身体にとても合う。

朝の法要で、僧侶さんが仰っていた。生命はつながりなので、身近な縁を大切にするようにと。自殺は病気や生活苦が直接的な原因ではない、孤独になったときに人は死ぬと。自分の苦しみが誰にも伝わらないと感じたとき。

この場所は、祈りを捧げる多くの人たちと、死者の魂との強い結びつき、本物のつながりのようなもので充満している。自然がそれを包み込み、魂を媒介している気がする。だが、人間の祈りや精神が作り出し、さらに何世代も引き継がれていった、とても人間的な場所に思った。雰囲気は寂しいが、孤独とは無縁の場所。できれば何度も訪れたい。

目を閉じて座り、読経を聞く。すーっとした早朝の空気が心地良かった。

2009年8月16日日曜日

五色沼

7月に歩いた五色沼。雨上がりで木々や葉が土壌が潤っていて、シダ植物も広葉樹も森全体が生命で満たされている。歩き始めると徐々に感覚が開かれて、私自身も瑞々しいもので満たされていくような感じがした。




















森の中を歩くことが徐々に減っている。これからは意識的に増やしたい。栄養補給するように。心身はもとより、どんな事に対する思考にも必要に思う。原点でもあるように思う。






ダリ展を催していた「諸橋美術館」、「郡山市美術館」の現代アート展にも立ち寄る。環境も素晴らしく、内容も充実していた。

2009年7月28日火曜日

塔のへつり~会津若松

7月21日。湯野上温泉から「塔のへつり」へ。会津鉄道塔のへつり駅、観光地のはずだが駅は無人駅だった。ちなみに会津鉄道は緑が多く眺めが素晴らしい。





強い雨の中、つり橋を渡り対岸を歩く。足がすくんだ。





対岸にある石段を上がると、虚空蔵。愚問かもしれないが、人はなぜ岩の上や岩の中、あるいは岩そのものに祈るのか。山形の立石寺や映像で観た円空の修行場、それから島根の霊光寺五百羅漢、大分の臼杵の磨崖仏群などを思い出した。






会津若松へ。飯盛山にある厳島神社。説明板によれば主神は市杵島姫命。永徳年間に社殿が建てられ、別當は正宗寺。元禄十三年には会津藩主松平氏が神像及び土地を寄進。さらに「明治初年に厳島神社と改めたこの山を飯盛山と呼ぶ~」。





白虎隊の墓地方面から飯盛山を登るには、動く歩道があるらしい。御年寄りには配慮があって参拝もしやすくなると思ったが。他の寺社でも景観や環境の維持とバリアフリーの問題は悩みの種だろうと想像する。






厳島神社の右手奥に、「さざえ堂」(旧正宗寺・円匝堂)。寛政八年に建造。六角で高さ16メートル。昇降別々の螺旋型通路で階段がない。世界にも例がない名建築だそう。昔は三十三観音を、建物の中心部にスロープに沿って安置していたという。郁堂和尚という人が考案建立したというが、どのような意図があってか。








生まれて初めておみくじを引いてみた。誕生日別に引くおみくじ。かなりの長文だったが、終盤に気をつけることとして、

「初年時代の才能有無も中年に成るにつれ社会生活に馴れ過ぎるとその働きが次第に多方面に変化し最初の目的を放棄しなければならなくなり、滅亡(!!)を早めるから深く慎まねばならなぬ。」

とあり、

「殊に色情の点に付いて失敗が多いから、(そんなことはない!)良く注意し将来の幸運を迎える事を心掛けるべきである」

と結ばれていた。

鵜呑みにはしないが興味深く読んだ。それにしても性格など、思い当たる節が多いのは、星座占いのように誕生日別に分かれているがゆえか。

2009年7月27日月曜日

7月27日

作業場の土手にいくつもなっているカボチャ。太陽の光で分かりにくいのですが、オレンジ色がとても強くて鮮やかなカボチャ。









下はそうめんカボチャ。大きくて細長くて、これから黄色に色が変わるんだそう。皆さん当たり前のように野菜作りができるので尊敬する。今日は昼食時に家庭で作ったトマトとキュウリを頂く。ものすごく美味しい。キュウリはミョウガ入りの浅漬け。嫌になるほどキュウリがなるそうで、毎日作ってきてくれる。大好物です。

我が家ではベランダでパクチ-などの香草、父が神社の社務所脇でゴーヤーやシソ、ミョウガなどを栽培。トマトやナスはうまくいかないらしい。将来的には私も様々な野菜作りを習得したいのだが。






7月27日、わが妹の誕生日。意識したことがなかったが、歳が5つ下だったことがはっきりした。ワンピースとカーディガンの贈り物。好みが全く違うので、選択には困難を極めた。反応が心配。いずれにせよ、(私には全くない)才能を豊かに持っている我が妹、生かせるような環境を、彼女らしい良き日々を、と心から願う。

2009年7月26日日曜日

鬼子母神 雑司ヶ谷界隈




雑司ヶ谷界隈を歩き、鬼子母神を参拝。大学時代に数回来た覚えがあるけれど、そのいわれは知らずにいた。安産、子育ての神様。たくさん掲げられていた絵馬は、子沢山を願う石榴の絵柄。ちょうど昨晩、友人から第二児を授かった話を聞いたので、彼女のためにお参りをする。







江戸期からある駄菓子屋さんが参道脇に。それから鬼子母神名物「おせん団子」をお土産で買う。小粒で食べやすくお上品な味だった。





雑司ヶ谷駅から池袋まで散歩。日差しがきつく暑かった。路地裏の日陰には猫が暑さで伸びていた。井戸も残っていた。駐車場にはいつ頃のものか、倉がビルを背景に残っていた。都電沿いは、新たな道路の拡張工事、副都市線雑司ヶ谷駅開通のための工事が最近まで行われていて、それに伴う発掘調査が長い期間をかけて行われていた。この雑司ヶ谷遺跡の調査に関わる写真と簡単な説明が駅の出口に掲示してあった。大江戸線のように地下鉄も相当な深さまで掘り尽くしている感がある。平面的にも東京は隅々まで改良され、そろそろ遺跡も発掘し尽くすという段階まできているのだろうか。







2009年7月24日金曜日

大内宿    ~高倉神社~

7月20日、福島県南会津郡下郷町、旧会津西街道の大内宿。

江戸時代からの宿場の景観が残っている。家々がみやげ物屋になっていて軒先で食べ物や民芸品を売っている。観光客も増えているよう。だが売っているのも素朴な物―日常の食べ物や手作りの品が多かった。店の人たちも食べながら、お茶を飲みながら座っていたり、猫が昼寝をする家の中が見えたりして、生活の一場面のような感じがする。

規模にもよるのだろうが、今まで訪ねた他の建造物や町並み保存地区とくらべると、大内宿は洗練された雰囲気も店もなく、素朴で自然な観光化がなされている感じがした。だが寂れた感じは全くなく茅葺屋根の家々も綺麗に保存されていた。現在保存されている他の宿場も、比較しながら当時の交通、旅の状況を想像しながらみてまわりたい。














村社、高倉神社の鳥居。お蕎麦屋さんのHPに詳しく載っていたが、高倉宮以仁王を祀っているようだ。

七月二日の「半夏まつり」の写真には、祭りの列に子供の姿があった。村社が子供を取り込み子供達も身近に神社と親しんでいるだろう。道沿いの鳥居をくぐるとすぐ右手には小中?学校あり、10人近い子供達がボールで遊び、自転車を走らせていた。住民より観光客の方が多いような場所だが、子供達の日常の遊びの風景があることにほっとした気持ちになった。




最初の鳥居をくぐると田んぼの間に一本道が続く。右手前方に鳥居が見える。









通りから少し外れたところに高倉神社があるが、高台の上に寺がある。集落沿いを奥に向かうと階段があり、登ると集落を見守るように(写真も名前を確認するのも忘れてしまった。)建っている。集落における寺社の立地というのも、どんな意味を持つのか興味深い。








湯西原温泉の宿のロビーで見た、木の枝に幾つも取り付けるサルか人の、とても小さな布製の人形を出発前から求めていて、ある一軒でのみ発見。しかし枝ごと売られていて、あまりに枝が長く、道中の荷物を考え断念。こんにゃくときび餅を買う。きび餅はそのままだとあまり味がないのだが、柔らかくて素朴な味。こんにゃくも美味だった。