2009年5月25日月曜日

鋳物の街、川口~川口神社

埼玉県川口市を散策。川口神社を参拝した。境内も広く社殿も明るく開放的な神社だった。社殿までの新緑が美しかった。休日のせいか近所の方と思われる人たちも参拝に来ていた。神社の周辺にも子供を多く見かけ、活気のある街という印象を受けた。神社の案内板によれば平安時代に武蔵国一之宮の氷川神社から分祀勧請したそうだ。また明治42年には鋳物師の神を祀っていた金山権現社を合祀したとあった。

川口は鋳物の街。富国強兵、殖産興業がいわれた明治時代、最も繁栄したという。現在では需要は減ったとはいえ街のあちこちに古い鋳物工場がある。鋳物産業の知識は全くなかった。その製造品だけでなく、製造の工程もぜひ見てみたいものだ。川口は都心にも近く、ベッドタウンかと思いきや興味深い産業の街という側面もあった。

川口商工会議所のHP
に鋳物業の歴史などが載っていた。

2009年5月24日日曜日

Newsweek「オバマ、オバマを語る」

オバマ大統領のインタビューを特集していたので、Newsweekを購入。
意見が異なる人との対話や議論を重視する姿勢と、政治家としての慎重さや態度の徹底した強さを感じた。

「国民にも複雑な問題に対する難しい説明を聞く用意がある」という言葉にも表れている通り、相手を尊重し、言葉を重ねて信頼関係を築こうとする地道な努力の姿勢は学ぶべきだと思った。

「最終的に合意が得られなくても、いかに問題に取り組み、どのように決定を下しているかを知ってもらい、私が相手の立場を理解し~議論できることを知ってもらう。意思決定のプロセスには、こういうことが必要だ、自分の声を聞いてもらえたと実感できれば、妙にドクマ的な対応はしなくなるだろう。」

日頃、私自身怠けている場が多い気がする。異なる意見を持つ相手に対して、丁寧な説明を疎むということは、相手との最低限の信頼関係を築けない。さらには自分の意見をみずから価値あるものと認識していないことにもなるだろう。

とくに自分の意見が現実化する際には、説明能力はなくてはならないだろう。信頼関係がなくては実際、有効に機能していかない。仕事では、他人の意見のもとで私は働いているが、そのような説明不足の場面を思い返すと、思い当たるふしが多く現実味が増す。

イランへの政策については、「イスラム革命を維持しつつ国際社会の善き一員となり、周辺国に脅威を与えない存在になる」よう働きかける、だが楽観視するほど自分は甘くない。政策は、具体的な成果がなくても交渉に努めたという事実が残り、国際社会でのアメリカの立場は強化され、アメリカの制裁の犠牲者だという言い訳は通じなくなる。

ここからも対話を積み重ねる、そのプロセスが大事だという彼の考え方が見えてくる。それが結局、結果の後の状況に反映されていくということだ。

大統領になってからのマイペースな生活サイクルも興味深かった。12時~12時30には眠り(遅くなる日はあるようだが)、8時30から18時30くらいまで仕事、家族で夕食、子供と遊ぶ、朝には運動、夜30分は小説を読む。自分のペースを守るある種の強さがあるからこそ、信念に基づく意見で周りを動かし、国を動かす権力とその影響力を「楽しむ」という器の大きさがあるのだと思った。

2009年5月18日月曜日

野町和嘉 写真展「聖地巡礼」

恵比寿の写真美術館で、野町和嘉さんの写真展「聖地巡礼」を観てきた。

ムスリムの祈りを写した巨大な写真。イスラム教の信仰の激しさ、祈ることへのエネルギーに驚いた。祭礼の日には数百万人がメッカに押し寄せる。大渋滞も厭わず、テント村まで形成される。著作によれば圧死する人もいるほどらしい。生きることが信仰そのもので、先進国といわれる国の人間とは、生の前提が全く異なる。精神的な充足が何より尊いかを彼らは知っているのだろう。物質的な充足を追及する人間はそちらにハンドルを切ることに、憧れながらも後戻りする恐れを抱いている。その恐れは「正反対」を行く人たちへの無理解と敵意を生むのだろう。

野町さんの著書にはムスリムは約12億人、地球人口の約6分の1を占めるという。ムスリムの写真群を観たときの単純な印象からいえば、宗教問題について、国連の指針やアメリカ一国の対応が根本的にどれほどの影響を彼らに与えるのだろう、とため息が出てしまった。政治的な駆け引きと信仰とは別の次元のことであり、だがむしろ人間の絶対的な信仰心に、争いに結びつく要素や根源があるのだと思う。どのレヴェルで対話や相互理解がなされるべきか。

そのほか印象に残ったのが、ペルーに住む山岳民族のキリスト教の祭り。スペイン領になる以前の土着の山岳宗教がそのままキリスト教に融合したという。民族衣装とお面を被ったいでたちや独特の雰囲気は、キリスト教のイメージとはまるで違った。

それから、アフリカの大陸の砂漠に生きる人々の信仰の姿。そこでの野町さんのコメントに考えさせられた。彼らの命ががかっている泉は神によって命運を握られている、そこに仏教の「慈悲、慈愛」とは違う、神の「慈悲、慈愛」がある、というようなことが書かれてあった。信仰の形や思想と、風土とはやはり結びついている。

展示場で、ちょうど野町さんがトークショーを開いていた。そこで触れていたのが、日本人の宗教と自殺者数について。著作「祈りの回廊」の序文にも同様の言葉があった。日本は近代化の結果、「遊びと包容力に欠ける冷たい社会」になった。「日ごとに九十人もが自殺してゆき(年間自殺者数三万二千人。戦闘下のイラクですら、日々これほどの犠牲は出ていない~)~。」日本の宗教は宗教としての役目を果たしていない、と。日本の社会と個人にとって宗教はどのような位置づけにあり、可能性を持つのか常に社会状況と平行して考えていなくては。

インドの写真群は、10年以上前にガンジス川で見た光景と重なる場面が多かった。だが当時、いかに私自身が対象に違和感を持ち、距離をおいて客観的に眺めていたか、実感した。異文化との向き合い方について、野町さんのパターンには興味を持った。他の著作も併せて読んでみようと思う。

野町さんは自らムスリムになり、イスラム教の中に入っていった。日本文化との違いも含めて、違和感はないかとの質問に、それ程の文化の違いを感じない。ただ、自分は厳格なムスリムではないものの日本人であることとのギャップにいつも葛藤がある。そしてむしろそれを楽しんでいる、と言っていた。この楽しむという一語には、言葉では説明しきれない複雑な種類の葛藤があるのだと、想像している。

大学院の授業で異文化交流、異文化理解について発表することになり、現在準備中である。今回その軸に置かないが、このテーマにおいて宗教は重要な要素だと思った。

2009年5月9日土曜日

國學院大學 伝統リサーチセンター資料館

「神道史学」の授業の一環で、大学の「伝統リサーチセンター資料館」を見学した。「神社管理概論」で授業を受けている加瀬直弥先生が、展示物を丁寧に解説してくださった。加瀬先生は神道史専門のようで自身の見解も付け加えながらの解説はとても興味深く勉強になった。

まず印象に残ったのが、「熊野那智参詣曼荼羅」。熊野学のHP(図と表で見る熊野信仰)によると、熊野那智参詣曼荼羅は全国に31あるという。そのうち2本が國學院大學蔵である。教化活動の跡が残る中央の折り目がリアルだ。美しい曼荼羅なのだが美術品ではなくて信仰を広める道具的な役割をしていたのがおもしろい。

それから「春の祭り 初夏の祭り」というテーマ展示での、日光東照宮祭礼絵巻。幼少期、東照宮近辺に住んでいたので、毎年の千人行列は楽しみな祭りだった。その祭りの様子が描かれている江戸期の絵巻。琵琶湖上に神輿が積まれた船が登場する日吉大社の山王祭の絵巻も土地柄が出ていて興味深かった。

埼玉の某神社の神輿は一月がかりで住民の手により完成させるという。展示物は一昨年の神輿の模型だそうで、若者のアイデアであるピノキオのモチーフが取り込まれ、新しさと伝統のせめぎあいが表れている。多くの例において祭りが断絶を経たのち、決してたやすく復興、継続していたわけではなく、その背景には地域住民の経済的負担や強い願いがあったことを知る。住民のエネルギーや知恵が時代を超えて祭りを継続させていく。

等資料館は近年、完成した。神饌の種類も分かりやすく解説され、そのほか神道に関わる資料が豊富で、教科書を読むより興味深く学べる。考古遺物も充実している。数年前、古くて狭い考古資料館に並べられていた遺物が、効果的に展示されている。

2009年5月8日金曜日

阿修羅展

4月30日、大学が休講だったので朝から上野の国立博物館に阿修羅展を観に行った。すでに30分待ち。興福寺跡出土の玉や鏡、匙、刀子といった遺物は、あまりの混雑にじっくり観ることは断念した。

阿修羅像や他の八部衆像は、興福寺の博物館ではガラスケース越しで観た覚えがある。この展示では少し薄暗くした演出や、ゆとりを持った像の配置、直接どの角度からも見ることができる順路の構造など展示方法の工夫がよかった。数年前、同様に国立博物館で百済観音像やサテュロス像を直接に観た感動を思い出す。

これまで仏像は特に、厳かな雰囲気の寺で、あるいは山村を延々と歩いた先にある素朴な寺で観るべきだと思っていた。在るべき場所から離れて展示されることに違和感があった。美術品としての鑑賞ならよいが、と。だが今回、仏像そのものが持つ力は置かれている空間にそれほどに影響されないのではないかと感じた。改めて考えれば観る人間の内面が、身の置かれている空間に影響を受けるだけで。逆にむしろ仏像の力そのものによって空間が別次元へと変化しうるのかもしれない。

岡本太郎の「明日の神話」もそうだ。設置が渋谷駅に決まった当初は、あんな人混みよりも広島の平和記念公園のように多くの人が静かに祈りを捧げるような厳かな場所の方がふさわしく思えた。だが実際、初めて対面したとき、壁画の持つ圧倒的なパワーは場所の選択など関係のない次元にあることがすぐわかった。むしろ壁画の力によって渋谷駅の一部を異空間に変える。早朝のラッシュ時でさえ自然と祈りに似た気持ちが湧く、壁画の力に圧倒される。

阿修羅展は特別な期待を抱いて行ったのではないので、惹きつけられ素直に感動している自分に驚いた。阿修羅像の憂いのある悲しい表情に自然と手を合わせた。阿修羅の知識がないうちに、その表情から仏の慈悲ということが浮んだ。

私も含めて、これほど多くの人を惹き付ける仏像の力はなんだろうと思う。仏像に内在する力や美術品としての技術の精巧さ美しさだけでなく、それらが見る側の内面の欲求と合致するからだろう。阿修羅に向けようとあらかじめ持参した欲求ではなく、その場で自然に湧いたもともと自分に内在している欲求である。それは信仰心とは別の作用のような気がする。

2009年5月7日木曜日

春の御馳走

2月に撮影。春の日差しにヒラメ。3~4時間、日差しに当てるだけで栄養価と旨みが増す。下はキス。虫がたかるかと思ったが春先は来ない。だがベランダに化粧水用の柑橘果物の皮を干しておくと、鳥が寄ってくる。






こちらも2月、神社で採れたフキノトウ。父が持ってきてくれた。小麦粉を水で溶たなかに混ぜ、薄く伸ばしてフライパンで焼くだけ。あとは極薄味でさっと煮たり、刻んでとろろ芋に混ぜたりして食べる。

数年前の5月、新潟県の秋山郷で雪溶けの中、鹿に見られながら夢中でフキノトウを採ったことを思い出した。伸びてしまったフキノトウの茎は煮たり炒めたりして美味しくいただけることを宿のおばさんに教わった。山を生活圏にして暮らす人たちがもつ植物の知識の豊富さにはいつも驚く。

一昨年に「田舎の学校」の企画で参加した、長野県原村での山菜採りでは、タラノメやゼンマイのほかホトケノザをはじめ食べたことのない多種多様な山菜の採り方と調理法を学んだ。生の葉を刻んで御飯に混ぜるだけで爽やかな混ぜ御飯になったり。原村での企画には茸狩りもあって、初めて見るタマゴダケなども村の人たちは全て常食にしていた。

そんな植物を発見して食していた先祖にも感心するが、現在でも当然のようにこれらの野草が食卓に並ぶのだから、都市圏に住む私達がいかに与えられた、限定されたものしか食べていないことに気づかされる。せめて身の周りにある山菜の採集や調理法くらい習得したい。春先の採集は芽吹いたころの植物を採るのだから究極の贅沢だ。命の誕生やその循環をこの季節に実感するんだろう。室内や室内とほぼ変わらない街中にいる時間の方が多い私は、そんな時間の流れには鈍感になっているだろう。

遺跡発掘作業をしている建物周辺にも、毎年ツクシが山のように採れるので休憩時や帰宅時に採集する。だが開発中の地域なので、昨年はツクシの採集場にしていた空き地や土手も工事が始まり、さら地になってしまった場所が多い。こんな風にして日本人の食生活も変化したのだろうと思う。ちなみに職場近くは丹沢山系の麓に位置し、近くの川ではクレソンやセリが採れるらしい。身近にもまだそんな場所が残っている。

5月、筍の季節。近くの産直で購入あるいは近所の人に頂いた筍を、栽培した山椒の葉をのせていただく。職場近くの田園地帯にこのところ鷺をよくみる。田植えの季節、田が眠りから覚める。夏秋を通して稲の彩りや風景の変化を楽しむ。始まりの季節がやってきた。