2009年9月22日火曜日

映画「湖のほとりで」

イタリア映画、「湖のほとりで」を観てきた。ノルウェーのミステリー作家、カリン・フォッスム「 見知らぬ男の視線」が原作。北イタリアの村が舞台。殺人事件が解明されていく過程で、事件に関わる人々の人間模様が描かれている。

のどかで牧歌的な村の風景のせいか、人の心の様々な側面を親密に映していくせいか、ミステリーという感じがしない。不思議な印象のまま、物語は進行していく。



事件を追う警部は、人々に行動の意味を問う。だが本人たちは、衝動的な行動と感情を説明できない。「わからない」と悩み、言葉にならないもどかしさを抱える。そんな感情が絡み合って出来事をつくりあげ、進行させていく。指摘できる唯一の動機も、決定的なものではない。

複雑な親子、夫婦の関係について、人々は明確な言葉をもたない、「あなたにはわからないだろう」という。事件は解決しても、最後までわからないところはわからないままだという感覚が残る。

通底音のように悲しさが流れている。そのせいか、ある表情や行為にみえる愛情や優しさが際立つ。殺された少女の、彼を思う恋人の、警部とその娘の…。決してハッピーエンドといえないラストも、警部のささやかな言葉と、妻と娘の笑顔にほっとする。

しーんとした湖の風景、倒れる美しい少女の死体、そして幼い少女が家並みを歩く最初の場面…構図もおそらく完璧で、澄んだ空気が伝わるように美しい。丁寧に丁寧に作られていて、繊細で、何だかため息が出てしまった。

2009年9月21日月曜日

アンリ・リヴィエール展

神奈川近代美術館の葉山館で催されているアンリ・リヴィエール展

フランスの浮世絵、ジャポニズムと聞いて、さっそく観にいってきた。今年に入り興味を持っていた文学のジャポニズムと同様、馬淵明子「ジャポニズムー幻想の日本」を読んで以来、絵画のジャポニズムも実際見てみたかった。

アンリ・リヴィエール(1864-1951)は、19世紀末フランス美術界でブームになったジャポニスムに影響を受けた画家・版画家。北斎や広重 らの浮世絵から、色彩や構図、表現技法を学んだという。リヴィエールは、美術史上、木版画の復興と多色リトグ ラフの開発に貢献しているそうだ。

リヴィエールの作品に並んで、構図が似ている北斎の作品も展示していて、そのため影響がすんなり見て取れる。エッフェル塔の建設過程を描いた、リヴィエールの『エッフェル塔三十六景』ともに、もとになっている自身、撮影した写真、それから北斎の『冨嶽三十六景』が展示してあるといったぐあいに。さらにはリヴィエールに影響を受けた、あるいは共通点があるという日本の版画家の作品も展示されていて抜かりがない。

対象がフランスの自然、田舎の風景だったせいか、色彩が心なし淡いせいか、日本の浮世絵よりも牧歌的で穏やかな雰囲気だった。並べてみると、日本の浮世絵の方が緻密で繊細、リヴィエールの版画の方がおおらかな感じがした。影絵とリトグラフで表現された、夜の海、星空がとくに美しかった。

彼は、「シャ・ノワール」というカフェで、ジャポニズムに出会う。当時、シャ・ノワールには芸術家や文化人、知識人らが出入りし、政治談議や芸術家達の新しい作品発表の場にもなっていた。そして、シャ・ノワールの主人、サリが文芸雑誌「シャ・ノワール」を創刊しており、リヴィエールは編集に携わることになったという。猫の絵が描かれたリヴィエール作のシャ・ノワールのポスターも魅力的。カフェで上映し、話題を呼んだという影絵劇も展示、上映されていて、美術館全体の演出がとても良かった。

それにしても、客が談義し、芸術家が集い表現をする、当時のカフェのような場は魅力的だし、羨ましい。

下田、海に入る




9月20日。南伊豆、下田の海。快晴、日差しは強かったけれど、涼しい風が強く吹いていた。両手足を付け根まで、思い切り海水につけて、歩き回った。そんなふうに長時間遊ぶうちに、沖へと前進、さらに波が強くなり、結局、衣類まで水浸しになった。水着を持ってくればよかった。サーフィンをする人たちのあいだに、水着の子供たちもいた。伊豆の海ならまだ海水浴が可能だったのだ。

強い日差しのなか、砂浜でしばらく寝転んでいたら、両手足が焼けてしまった。今年は日焼け止めとは無縁の夏だったのに。












自然の無限の動力を、全身で感じて、心が空っぽになった。そして、何もかもが満足だった。ずっと海に入りたいと思っていた。帰途についても酔っているように波の感覚が離れなかった、何度も甦ればよいと思った。

2009年9月13日日曜日

秋、充電




昨晩お世話になった、友人宅の八王子から海老名まで、友人一家とドライブ。相模原市を流れる相模川。日曜の午前中、河原ではたくさんのバーベキューをする家族連れ、河にはたくさんの釣り人が釣り糸をたらしていた。

友人の一歳の息子君と、手をつないで河原を一緒に歩いたのだけれど、石を踏む足裏への感覚も、小さな手を握ったこの手の感覚も、秋の風と空気と共に、一生覚えているんだろうと思った。ヤクルトみたいな飲み物を、お母さん(友人)からもらって、彼と一緒に飲んでいたら、急に、とても満ち足りた気持ちでいるのに気づいた。

皆で神社に寄ったら、ちょうど父が御祈祷。息子君は、父の姿を物珍しげに見ていておかしかった。社務所内を御機嫌で走りまわり、笑顔がいっぱいだった。穏やかな時間が流れていた。






午後は、愛車(自転車)で相模川目指し、1時間ほどサイクリング。山羊がいた。携帯撮影なので映りが悪いけれど。ひたすら草を食んでいた。畑とどぶ川の間の微妙な位置につながれていた。




相模三川公園。昨年は整備中だったけれど、広々とした芝生の素晴らしい公園になっていた。夕日を眺める絶好のスポットになっている。





海老名の田んぼも、もうすぐ稲刈りの時期。





曼殊沙華、好きな花。天上に咲くという花の名、だそう。




栗の林。立派な実がなっていた。今年は、渋皮煮にチャレンジしよう。

最近、空の色も空気も澄んでいて、月の光も眩しい。毎年、夏の終わりには、感傷的な気分になってしまう。だけれど、そうではなくて、この季節の自然の匂いや色、現象の隅々まで観察して、感じていくと、感情レベルとは異なるレベルの発見がある。自分の内面に籠もるのではなくて、対象とつながるということだ。そして、秋というこの季節への感情も、違ったものになってくる。

自転車で帰宅後、そのままランニングに出たら、体が軽く、いつまででも走れそうな程、調子がよかった。エネルギーが体中に充満している感覚。充電とはこのことか、と思った。


9月13日、大阪在住の兄夫婦に、第一子誕生。おめでたい。宮司にとって、初孫。名前の音に漢字をつけるのだとか。私はとうとう叔母になった。

2009年9月7日月曜日

戸隠神社

先月29日、戸隠神社を参拝。長野県戸隠、大学のゼミ合宿以来、約10年ぶりに行った。





夕方に参拝した宝光社。

宝光社近くの宿坊に泊まった。一室に御神殿があった。不動明王像もはいしていて、神仏習合の形態になっていると紹介されていた。戸隠には、全国からの講員の方々や、もちろん一般の参拝者も宿泊できる宿坊が多数ある。

お世話になった宿坊には、古い書籍がたくさんあって、折口信夫全集や柳田國男全集などがあった。その中から小林秀雄の対談集をお借りして、その晩読み耽った。坂口安吾、三島由紀夫との対談など、とくに面白かった。





奥社までの参道は約2キロ。しばらく歩くと随神門があり、杉並木が続く。雨上がりの早朝、木々の香りに溢れ、全てがみずみずしかった。美しい鎮守の森。濡れて歩きにくい場所はあったけれど、ひたすら歩き、気持ちが晴れやかになった。








奥社手前にある、九頭龍社。








参道の途中の川を渡ると、大講堂屋敷跡がある。







かつてゼミの仲間と恩師と歩いたのだが、その時、恩師が話したことを、同じ場所に来たときにふと思い出した。言葉は背景と、その時の空気と共にあるのだと思う。何気ないどんな言葉も、同じ空気に触れた瞬間に、ふと蘇ったりする。



10年前に、この木の中に入って写真を撮ってもらった、同じ木。




木の子供。道の終盤に出会い、なぜか心惹かれた。




戸隠神社、中社。ちょうど御祈祷がおこなわれていたので見学をした。座礼での御祈祷を見るのは初めてだった。




中社脇の宿坊で、父母が大学時代所属していた、能の会が毎年合宿をしていたそう。今年度の神社の参拝旅行も戸隠神社。とても御縁を感じる。また再び、参拝に来たい。奥社までのあの道をまた歩きたい。





中社の近くの脇道にいた猫。なかなか味のある顔をしていた。






2009年9月6日日曜日

兵庫県佐用町

8月の台風9号により、大きな被害を受けた佐用町で、仮設住宅への入居が始まったというニュースがあった。住民の方の暮らしに、少しでも快適さが戻ったのは少しほっとしたが、被害の痛みは容易く癒えないと思う。死者が18人、全壊住居が161棟という大きな被害に心が痛む。今回の被害の大きさは川沿いの町、さらに支流の多さという地形の問題もあるという。

災害から復興への道のりは、時が経つにつれ、報道もなかなかされにくくなるのが常だろう。だが、町役場のHPなどで、ずっと気にかけている。

私の本籍は兵庫県佐用郡佐用町。先祖の墓もその地にある。父の出身は兵庫県姫路市。祖母も晩年までそこで暮らした。数ヶ月前、父が家系図のコピーをくれた。それによれば、室町時代から明治三十六年まで、世襲で佐用町の神社の神職を勤めていたとある。ネットで調べると、その神社は今でも残っている。いつか参拝を、と考えていた矢先に今回の災害のニュースが入ってきた。

身近な川が突然襲いかかる恐怖は想像を絶する。また、従来の日常生活が戻るまで、復興には大きな物的精神的エネルギーが必要だと思う。少しでも早い、住民の方々の安心な暮らしの回復を願わずにはいられない。