2012年5月27日日曜日

東北の手芸工房より

「サンガ岩手」のHPで、被災地支援の新商品が紹介されていた。東北のお母さんたちの工房で作られた手芸品である。

HPには工房の様子が映った写真があって( http://sangaiwate.org/people.html )、お母さんたちが机を囲んで作業する姿がとてもいい。昔観た映画、『キルトに綴る愛』のシーンを思い出した―女性たちが大きなキルトを広げて、それを囲んで針を持つ手を動かしながら、昔の恋愛話に花を咲かせる―。女性たちそれぞれの生活の事ども、人生の物語が織り込まれ、彼女たちの語らいとコミュニケーションの中で作品が仕上がっていく。そんな背景をもって生まれてきたモノに、私は心が惹かれる。

私自身も絵を描いたり裁縫や料理をすると、手元に神経が集中し、心が落ち着いて穏やかになることがよくある。できあがりまで、手作業ゆえの楽しさと喜びがある。そして、何にしろ生産活動、仕事によって見知らぬ人とつながる感触は、お互いに(!)プラスの喜びだと思う。

そんな「手仕事」の場を、東北の被災地に設置し、バックアップしている「サンガ岩手」。お母さんたちの心と生活に寄り添う形で、活動を継続、展開させている。今年、宗教と震災支援についてのシンポジウムで、代表の僧侶である吉田律子さんの話を伺う機会があった。

…行動の第一歩、まずは個人から始めることは可能だし、組織を介さないからこそ迅速に対応できる。今からでもできることはたくさんある。「宗教者」はとにかく現場に立つこと、人々に寄り添い、話を聞くこと…その熱意と、迅速な行動力に心底敬服し、被災した方々への共感にあふれた言葉に、胸が熱くなった。

工房の品は、ネット販売の他、現地でのバザーで定期的に販売している。また、量を問わず全国で売ってくれる個人、団体を募集している。地元のバザーやフリーマーケットで出店してみるのも、被災地への支援活動になる。まずは、個人で少し購入して手もとに置くのもよいかもしれない。利益があるのは何よりだけれど、そんな個人のささやかな気持ちが、女性たちの「手仕事」をいっそう豊かなものにして、活動そのものを支えていくのだと思う。

「サンガ岩手」 HP → http://sangaiwate.org/

2012年5月13日日曜日

素焼き土器

2011.9


北インドの街、パトナの路上にて。山のように積み上げられた素焼きの土器。食堂やホテルでは、ガラスやステンレス、鉄、アルミニウム製の器が普及しているようだが、こんなふうに売られているのを旅の間よく見かけた。屋外のチャイ屋などでは、使い捨て容器として使われていた。ヒンドュー教の儀式にも装飾された土器が使われるそうだが、貯蔵用(とくに貯水用)の壺が一般的だそう。

(上の写真の丸い中型の壺?はどのように使うのか。口が閉じられ、貯金箱のような切込みが入っている。)




南アジアの考古学研究者、上杉彰紀さんのHPのコラムにインドの土器制作の工程が詳しく掲載されていて、とても興味深い。かつての日本に普及していた土師器に、色も手触りもよく似ている。土器作りの職人集団、商人...そしてこんな路上の風景があったのかと思いを馳せた。

インドの地面や土中はさぞ土器の破片だらけだろうと思うが、路上から生活から一掃される日がくるのはなんとも寂しいような気がする。

2012年5月12日土曜日

弱さをつかむ

先日友人が、人間関係でとても傷つくことがあったのだけれど、「人と自分自身の弱さとバカさを身をもって知ることができた。他人のダメさを上から指摘するような嫌いな人種にはならないですむ。」というようなことを言っていて、 この友人の貴重さを感じながら、ああと思った。ある文章を思い出した。“「凡夫」であることを徹底的に自覚する”―それは、けっして諦めでもひらきなおりでも努力の放棄でもない。


「浄土真宗でいう『凡夫』とは...
関西風に言えば『アホ』。
おのれの欲望に縛られて、しなくてもよいことまでしでかしてしまう愚かさ。
賢く振舞っても、どこかで抜けている生き方。
『わかっちゃいるけどやめられない』という意志の弱さ。
思いやりという仮面をかぶった自己愛。
いつも自分の利害が垣間見られているというヒューマニズム。
...煩悩から自由になれない存在。

浄土真宗が浸透した地域では...『凡夫』であることを認め合っている。
人は弱みを持っていて当然であり、それは恥でもなければ卑下することでもない。
『人の自然さ』なのである。」  (阿満利麿『行動する仏教』p.65)


自殺者を年間3万人もだしてしまうこの国にも、このような柔らかな思想があってどこかで根づいていたわけだが、それはともかく本書では、「凡夫」でありながら積極的に生きていく道筋を示していく。そこでの絶対的な条件は、

「凡夫以外のありようは不可能だということを徹底的に自覚する」。

わが身が「妄念」のかたまりだと納得する。それは自我にどのような問題が内在しているのか明らかにする。常識の限界に気づく。自己の有限性に気づく。関係性によって生かされているという目覚め、自己の「軟化」が起こる。そこから新しい生き方に結びつく、自己を位置づけなおす「物語」を受け入れるようになる。...そして「凡夫」の仏道は、

    「自他を平等に見ることができる知恵」
    「平等であって欲しいという願い」
    「人と人とが違うとはっきりわかるという知恵」 


...を生む。こうした知恵が、他者の痛みを知り、共感し、そして慈悲の実践を容易にするという*。 


仏道といわずとも、そのような知恵や実践に向かう道筋を、私とまわりの人たちの道の先にほのかな暖かい光を、と願う。まずは、弱さを“徹底的に自覚する”とはどのような方法でか。掲書からは離れるが、友人が「身をもって知った」というように、たぶん徹底的な内省以前に、人と徹底的に向き合う経験からだろう。痛みを伴いながら何度も。気づきはきっと、些細な日常に起こる。

そして私の弱さをつかんだとき、人の弱さを受け入れているか、私の弱さを周りのせいにしていないか、同時に問えている気がする。そして目の前に新たな転換がある。

そういえば幼い頃、お風呂の中や近所のお宮で、「明日から人に優しくなります...」とか、しょっちゅう改心を誓っていた。その後も、「これからの私は...」と、ただ同じことをくり返し、堂々巡りをしてきた。山に登れば、坐禅をすれば明日から変われる気がした。でも問題は「これから」でなく、今ここに、私そのものにあった。私を客観視して弱みを受け入れるのは、難しくて案外容易かもしれない。「人の自然さ」は、そういう類のものなんだろう。

(*そして人々の「苦」の原因を、因縁や自我にではなく、政治や社会構造に向けて追求し、行動に移していくことを説く。本書では、現代社会の問題に即した議論が展開され、仏教に関わらない人にとってもヒントが多く、読後に必ず心が強くなる一冊。



小雨で湿った男体山山中 空気が渦巻く 2010.8.






































2012年5月8日火曜日

ワタリガラスの神話


写真家、星野道夫はワタリガラスの神話を追って、アメリカ北西海岸を北上しシベリアへ渡った。モンゴロイドの足どりと、アメリカ北西海岸の民族のルーツをたどる旅―96年、シベリアで急逝し、最後となったこの旅の記録が、『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』(世界文化社)である。未完になった本書には、星野のシベリアでの日記も載っていて、チュコト半島の地で聞いたいくつかのワタリガラスの神話のメモがあり、この旅が期待通りであったことが伝わってくる。


本書の冒頭に、星野の友人であり、トリンギット族のボブ・サムが彼に語った、ワタリガラスの神話が原文のまま載っている。トリンギット族の古老の語りを、のちにボブ・サムが活字に書き起こしたものである。ワタリガラスが全てのものに魂をもたらした神話―。


 “How Spirit Come To All Things”


ワタリガラスがこの世界に森を作ったとき、生き物たちは魂を持っていなかった。木も生長せず、動物たちも動くことはなかった。…ワタリガラスが浜辺を歩いていると、海の中から火の玉があがってきた。火の玉が消えないうちに手にいれなければならなかったワタリガラスは、嘴が長く飛ぶのが速いタカに、取ってきてくれるように頼む…タカは地上を離れ炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続けた。タカの顔は炎に包まれたが、戻ってくると、炎を地上へ崖へ川の中へと投げ込んだ。そのとき全ての動物たち、鳥や魚たちは魂を得て動き出し、森の木々も伸びていった…

 (以下、原文のまま抜粋)

...That's why we talk about it, to respect everything ,the tree, the rocks, the ground everything. Everything got the spirit...they alive like we are.


...Everything watching us. That frame. That rack. Anything around us. Even the tree. They watching us. What we do. Everything got the spirit.


...But the day is coming. I will be gone. Then you not gonna hear my voice. That's the reason why we respect the tree. From that we learning every thing.


神話はしばしば世界の成りたちについて語るが、この神話では、存在がどのように生まれたかではなくて、形あるものの中に宿るspirit=魂が問題となる。冒頭、このような語りから始まる。

Don't be afraid to talk about the spirit.

魂について語ることを恐れてはならない。あらゆるものに宿る魂を畏れ敬うこと。星野がボブと出席した、ネイティブの墓の埋葬品をめぐる「リペイトリエイション(帰還)」の会議で、ネイティブの古老が、「なぜ魂のことを話さない」と博物館関係者に訴える場面がある。見えるものに価値をおく文化と、見えないものに価値をおき、感じとろうとする文化―。

森はすべてを教えてくれる―神話のなかのこのくだりには、すべての魂は絡み合っていることが語られる。熊や鯨や羊、人々、森や海...。星野はある体験から、森と氷河と鯨がつながっていると直観する。

そして、言葉にできない(してはならない)体験があることを、星野の文章は語っている。魂のレベルの体験はなかなか言葉にできない。人々はそれでも伝えようとしてきた。このトリンギット族の神話は、口承によって数千年語り継がれてきたのである。共通の価値、民族として生きた証し、後世への教えとして。彼らは先祖と次世代の生命に思いを馳せ、雄大な自然と時間の中で生きている。同書には、ネイティブアメリカの古老の次のような言葉が引用されている。


Think not forever of yourselves, nor of your own generations.
Think of continuing generations of your families, think of our grandchildren and of those yet unborn whose face are coming from beneath the ground.
―American Native Elder―


「自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。―アメリカ先住民の古老― (p.52)」






                   アメリカ大陸の北端、ホイントープ村。鯨の骨が並ぶ墓の写真







2012年5月6日日曜日

江戸人のポートレート

フェリーチェ・ベアト(1831~1905)は、イタリア生まれのイギリスの写真家。クリミア戦争、セポイの反乱をはじめ中国、ビルマといったアジア各国の紛争地を撮った従軍写真家でもある。

東京都写真美術館の企画展では、1850年代から1900年代初頭の作品までが並び、彼の仕事の足どりがわかる。東アジアでの作品が中心だったが、初期作品の「モリヤ山とオマールのモスク」(1857年)などは、当時のエルサレムの建物群のようすが写され、興味深かった。

1863~1884年の約20年間、ベアトは日本に滞在し、歴史の過渡期にある日本のさまざまな姿を撮った。現在と変わらぬ鶴岡八幡宮、店の暖簾や看板が立ち並ぶ厚木の路上、江戸のパノラマ写真や長崎の住民街など、当時の風俗がわかる作品は貴重な記録である。彼の写真に写る物見櫓が、江戸のとある遺跡発掘調査の参考になったという話も聞いた。下関砲台を英国海軍部隊が包囲した一枚は、覚えていないが、歴史の教科書に載ったそうだ。事業家でもあったベアトの目的はなんにせよ、歴史の一大事件から徐々に目線を下げ、庶民の生活を写す視界の広さに感心する。
 
はっとしたのは江戸の人々のポートレートである。侍や女性たちの「どこか」をみつめる視線に惹き込まれた。日本人ゆえのものすごい親近感も加わり、彼らの生身を感じてしまった。


「目に宿るもの」…眼差しから感じる他者は、言葉や肉体、製作物、他の何からのそれとも違っていて強烈だ。日常のコミュニケーション、そして歴史や考古の世界でいう、過去の一個人を感じること、身体性を抽出することの意義とあわせて、そんなことを思った。

ふと思い出したのは、広島平和記念公園の「祈りの空間」のフロアに並ぶ遺影―もの云わぬ人たちの視線―その前に立ちつくしたときの感覚である。


スミソニアン協会のリサーチ情報システムに、フェリーチェ・ベアトのフォトカタログあり。


  余談だが、同時開催のロベール・ドアノーの生誕100年記念展はとてもよかった。完璧な構図にストーリーが内包されているようで、映画のワンカットとして観た。黒い背景の下隅にエディット・ピアフが小さく写る一枚は、暗黒の美しさが際立っていて、釘付けになった。子供らや若者が飛び跳ねる一瞬をとらえた一枚には、息が止まった。躍動しながら静止している。パリ市民のポートレート。

ドアノーの作品が観られるHPあり。



2012年5月5日土曜日

恩師への感謝

先月、恩師である高瀬浄先生の訃報に接した。


98年当時、早稲田大学社会科学部の講義と「社会発展論」のゼミを担当されていた。大学3年めの私は、完全に生き方を見失い、さまよっていたのだけれど、「高瀬ゼミ」で先生に出会い導かれて、その後の方向性をみいだせた。情熱に溢れた講義、鋭い眼差しを思い出すと、訃報がいまだに信じられない。


大学院への進学も相談し、同大を去られた後も変わらずご指導をいただいた。フッサール、イリイチ、ウォーラーステイン、マルクス、西田幾多郎…折にふれ血肉にするよう勧められ、読んだ著作はみな、その時々の指針となり糧になった。


森を歩くこと、日本の地域をみること―秩父の村や山、高尾山、千葉の鴨川の千枚田、白神山地、沖家室島…様々な土地でのフィールドワークに同行させて頂いた。いつでも時間を惜しむかのように話し続けられた。地域の活性化、環境問題…から学の心構えまで。何時間にもわたる現場での講義から得たものはあまりに多く、今の私を作っている。


この十数年間、お会いしない間も、先生の存在と言葉を支えにやっきた。近年の私は、不本意な現状という自覚から、合わせる顔がない気がして、正直に言えば逃げていた。恩返しも何ひとつできず、感謝の気持ちすら伝えられなかった。無念と後悔ばかりが残る。


頂いた手紙や論文を読み返し、先生を思い出しては涙がでてくる。現在、取りかかっている課題も、いる神職として実践したかったことも、先生の教えが根底にあるので、報告することを目標にしてきた。きっと形にしなくては。それから、先生の著作を読み返し、世に伝えたかったことを少しでも多く受けとめ、担っていきたい。


今までと変わらず先生は心の中にいて。感謝の気持ちは伝わっていると、どこかで見ていてくださっていると信じたい。そして、私の人生に力を与えてくれた御縁に感謝して、これからもそんな御縁を大切にしなくてはと思う。

心からご冥福をお祈り申しあげます。


高瀬浄先生の著作一覧 (amazonの頁より)


2012年5月4日金曜日

リニューアルにあたって

2008年のブログ開始のきっかけは、神職に就くまでの道のりで、思考や気持ちを整理し、記しながら心構えを固めていくこと、そして今後神職を目指す方々への参考になればという思いからだった*。

この間、大学での履修、神社実習を経て、2011年11月に神職に就いたのだが、半年を過ぎた今でも、神職としての自覚や信仰心についてなどなど、相変わらず迷いと揺れの中にいて、一歩をも踏み出していない気がする。


そして、3月の東日本大震災、原子力発電所の事故。人々の悲しみと怒り、社会の動きの中で、実践はもとより発する言葉もなく、もどかしさを抱えながら、身動きが取れなかった。だがこの一年、宗教者の方々の支援活動、現場を通しての言葉から多くを学んだ。今後、神職として人として何ができるか、という課題が常に心にある。
 
現在、神社での行事や日常の些事は、facebookを中心にtwitterなどでも発信し、神道界をはじめ異分野の方々との情報・意見交換、友人たちとの交流の貴重な場として、その不思議を味わっている。ただそこでは、言葉が急速に流れては消える。思考も断片的になりがちというのも否めない。

再び、じっくりと腰を据えて思考し、記録や発信すべきことがあるはずと最近考えていた。それを書く行為そのものが、私にとって意味をもつことも。 テーマは限定せず、日々考えたことを書き連ねられればと思う。
 
また、宗教、神道関係等々の研究会、シンポジウム、講演会などの記録もこの場を利用したい。


旧ブログ記事は、半分ほどに整理したが、基本的には残すことにした。


( * とくに大学の科目等履修という大道ではないコースから神職を目指す場合、各手続きの段階から比較的長期の神社実習、仕事との両立など苦労が多い。コメント欄から御質問いただければ、分かることでしたらお役に立ちたいと思います。)