2012年5月8日火曜日

ワタリガラスの神話


写真家、星野道夫はワタリガラスの神話を追って、アメリカ北西海岸を北上しシベリアへ渡った。モンゴロイドの足どりと、アメリカ北西海岸の民族のルーツをたどる旅―96年、シベリアで急逝し、最後となったこの旅の記録が、『森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて』(世界文化社)である。未完になった本書には、星野のシベリアでの日記も載っていて、チュコト半島の地で聞いたいくつかのワタリガラスの神話のメモがあり、この旅が期待通りであったことが伝わってくる。


本書の冒頭に、星野の友人であり、トリンギット族のボブ・サムが彼に語った、ワタリガラスの神話が原文のまま載っている。トリンギット族の古老の語りを、のちにボブ・サムが活字に書き起こしたものである。ワタリガラスが全てのものに魂をもたらした神話―。


 “How Spirit Come To All Things”


ワタリガラスがこの世界に森を作ったとき、生き物たちは魂を持っていなかった。木も生長せず、動物たちも動くことはなかった。…ワタリガラスが浜辺を歩いていると、海の中から火の玉があがってきた。火の玉が消えないうちに手にいれなければならなかったワタリガラスは、嘴が長く飛ぶのが速いタカに、取ってきてくれるように頼む…タカは地上を離れ炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続けた。タカの顔は炎に包まれたが、戻ってくると、炎を地上へ崖へ川の中へと投げ込んだ。そのとき全ての動物たち、鳥や魚たちは魂を得て動き出し、森の木々も伸びていった…

 (以下、原文のまま抜粋)

...That's why we talk about it, to respect everything ,the tree, the rocks, the ground everything. Everything got the spirit...they alive like we are.


...Everything watching us. That frame. That rack. Anything around us. Even the tree. They watching us. What we do. Everything got the spirit.


...But the day is coming. I will be gone. Then you not gonna hear my voice. That's the reason why we respect the tree. From that we learning every thing.


神話はしばしば世界の成りたちについて語るが、この神話では、存在がどのように生まれたかではなくて、形あるものの中に宿るspirit=魂が問題となる。冒頭、このような語りから始まる。

Don't be afraid to talk about the spirit.

魂について語ることを恐れてはならない。あらゆるものに宿る魂を畏れ敬うこと。星野がボブと出席した、ネイティブの墓の埋葬品をめぐる「リペイトリエイション(帰還)」の会議で、ネイティブの古老が、「なぜ魂のことを話さない」と博物館関係者に訴える場面がある。見えるものに価値をおく文化と、見えないものに価値をおき、感じとろうとする文化―。

森はすべてを教えてくれる―神話のなかのこのくだりには、すべての魂は絡み合っていることが語られる。熊や鯨や羊、人々、森や海...。星野はある体験から、森と氷河と鯨がつながっていると直観する。

そして、言葉にできない(してはならない)体験があることを、星野の文章は語っている。魂のレベルの体験はなかなか言葉にできない。人々はそれでも伝えようとしてきた。このトリンギット族の神話は、口承によって数千年語り継がれてきたのである。共通の価値、民族として生きた証し、後世への教えとして。彼らは先祖と次世代の生命に思いを馳せ、雄大な自然と時間の中で生きている。同書には、ネイティブアメリカの古老の次のような言葉が引用されている。


Think not forever of yourselves, nor of your own generations.
Think of continuing generations of your families, think of our grandchildren and of those yet unborn whose face are coming from beneath the ground.
―American Native Elder―


「自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。―アメリカ先住民の古老― (p.52)」






                   アメリカ大陸の北端、ホイントープ村。鯨の骨が並ぶ墓の写真







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