2009年7月28日火曜日

塔のへつり~会津若松

7月21日。湯野上温泉から「塔のへつり」へ。会津鉄道塔のへつり駅、観光地のはずだが駅は無人駅だった。ちなみに会津鉄道は緑が多く眺めが素晴らしい。





強い雨の中、つり橋を渡り対岸を歩く。足がすくんだ。





対岸にある石段を上がると、虚空蔵。愚問かもしれないが、人はなぜ岩の上や岩の中、あるいは岩そのものに祈るのか。山形の立石寺や映像で観た円空の修行場、それから島根の霊光寺五百羅漢、大分の臼杵の磨崖仏群などを思い出した。






会津若松へ。飯盛山にある厳島神社。説明板によれば主神は市杵島姫命。永徳年間に社殿が建てられ、別當は正宗寺。元禄十三年には会津藩主松平氏が神像及び土地を寄進。さらに「明治初年に厳島神社と改めたこの山を飯盛山と呼ぶ~」。





白虎隊の墓地方面から飯盛山を登るには、動く歩道があるらしい。御年寄りには配慮があって参拝もしやすくなると思ったが。他の寺社でも景観や環境の維持とバリアフリーの問題は悩みの種だろうと想像する。






厳島神社の右手奥に、「さざえ堂」(旧正宗寺・円匝堂)。寛政八年に建造。六角で高さ16メートル。昇降別々の螺旋型通路で階段がない。世界にも例がない名建築だそう。昔は三十三観音を、建物の中心部にスロープに沿って安置していたという。郁堂和尚という人が考案建立したというが、どのような意図があってか。








生まれて初めておみくじを引いてみた。誕生日別に引くおみくじ。かなりの長文だったが、終盤に気をつけることとして、

「初年時代の才能有無も中年に成るにつれ社会生活に馴れ過ぎるとその働きが次第に多方面に変化し最初の目的を放棄しなければならなくなり、滅亡(!!)を早めるから深く慎まねばならなぬ。」

とあり、

「殊に色情の点に付いて失敗が多いから、(そんなことはない!)良く注意し将来の幸運を迎える事を心掛けるべきである」

と結ばれていた。

鵜呑みにはしないが興味深く読んだ。それにしても性格など、思い当たる節が多いのは、星座占いのように誕生日別に分かれているがゆえか。

2009年7月27日月曜日

7月27日

作業場の土手にいくつもなっているカボチャ。太陽の光で分かりにくいのですが、オレンジ色がとても強くて鮮やかなカボチャ。









下はそうめんカボチャ。大きくて細長くて、これから黄色に色が変わるんだそう。皆さん当たり前のように野菜作りができるので尊敬する。今日は昼食時に家庭で作ったトマトとキュウリを頂く。ものすごく美味しい。キュウリはミョウガ入りの浅漬け。嫌になるほどキュウリがなるそうで、毎日作ってきてくれる。大好物です。

我が家ではベランダでパクチ-などの香草、父が神社の社務所脇でゴーヤーやシソ、ミョウガなどを栽培。トマトやナスはうまくいかないらしい。将来的には私も様々な野菜作りを習得したいのだが。






7月27日、わが妹の誕生日。意識したことがなかったが、歳が5つ下だったことがはっきりした。ワンピースとカーディガンの贈り物。好みが全く違うので、選択には困難を極めた。反応が心配。いずれにせよ、(私には全くない)才能を豊かに持っている我が妹、生かせるような環境を、彼女らしい良き日々を、と心から願う。

2009年7月26日日曜日

鬼子母神 雑司ヶ谷界隈




雑司ヶ谷界隈を歩き、鬼子母神を参拝。大学時代に数回来た覚えがあるけれど、そのいわれは知らずにいた。安産、子育ての神様。たくさん掲げられていた絵馬は、子沢山を願う石榴の絵柄。ちょうど昨晩、友人から第二児を授かった話を聞いたので、彼女のためにお参りをする。







江戸期からある駄菓子屋さんが参道脇に。それから鬼子母神名物「おせん団子」をお土産で買う。小粒で食べやすくお上品な味だった。





雑司ヶ谷駅から池袋まで散歩。日差しがきつく暑かった。路地裏の日陰には猫が暑さで伸びていた。井戸も残っていた。駐車場にはいつ頃のものか、倉がビルを背景に残っていた。都電沿いは、新たな道路の拡張工事、副都市線雑司ヶ谷駅開通のための工事が最近まで行われていて、それに伴う発掘調査が長い期間をかけて行われていた。この雑司ヶ谷遺跡の調査に関わる写真と簡単な説明が駅の出口に掲示してあった。大江戸線のように地下鉄も相当な深さまで掘り尽くしている感がある。平面的にも東京は隅々まで改良され、そろそろ遺跡も発掘し尽くすという段階まできているのだろうか。







2009年7月24日金曜日

大内宿    ~高倉神社~

7月20日、福島県南会津郡下郷町、旧会津西街道の大内宿。

江戸時代からの宿場の景観が残っている。家々がみやげ物屋になっていて軒先で食べ物や民芸品を売っている。観光客も増えているよう。だが売っているのも素朴な物―日常の食べ物や手作りの品が多かった。店の人たちも食べながら、お茶を飲みながら座っていたり、猫が昼寝をする家の中が見えたりして、生活の一場面のような感じがする。

規模にもよるのだろうが、今まで訪ねた他の建造物や町並み保存地区とくらべると、大内宿は洗練された雰囲気も店もなく、素朴で自然な観光化がなされている感じがした。だが寂れた感じは全くなく茅葺屋根の家々も綺麗に保存されていた。現在保存されている他の宿場も、比較しながら当時の交通、旅の状況を想像しながらみてまわりたい。














村社、高倉神社の鳥居。お蕎麦屋さんのHPに詳しく載っていたが、高倉宮以仁王を祀っているようだ。

七月二日の「半夏まつり」の写真には、祭りの列に子供の姿があった。村社が子供を取り込み子供達も身近に神社と親しんでいるだろう。道沿いの鳥居をくぐるとすぐ右手には小中?学校あり、10人近い子供達がボールで遊び、自転車を走らせていた。住民より観光客の方が多いような場所だが、子供達の日常の遊びの風景があることにほっとした気持ちになった。




最初の鳥居をくぐると田んぼの間に一本道が続く。右手前方に鳥居が見える。









通りから少し外れたところに高倉神社があるが、高台の上に寺がある。集落沿いを奥に向かうと階段があり、登ると集落を見守るように(写真も名前を確認するのも忘れてしまった。)建っている。集落における寺社の立地というのも、どんな意味を持つのか興味深い。








湯西原温泉の宿のロビーで見た、木の枝に幾つも取り付けるサルか人の、とても小さな布製の人形を出発前から求めていて、ある一軒でのみ発見。しかし枝ごと売られていて、あまりに枝が長く、道中の荷物を考え断念。こんにゃくときび餅を買う。きび餅はそのままだとあまり味がないのだが、柔らかくて素朴な味。こんにゃくも美味だった。

2009年7月19日日曜日

野川散策

3時間ほど野川沿いをひたすら歩いた。猛暑の中、ジョギングやウォーキングをする若者や年配の人たち、虫捕りや川遊びをするで親子連れが多かった。鴨や鷺、鳩も猫も自由に動いていて、人々が思い思いに休日を過ごしていた。子供が水着や裸になって川ではしゃぎ、虫かごと編みを抱えて両親に手を引かれている。珍しくはないのに、貴重な光景のように感じてしまった。自然に溢れた憩いの場所は、人々を引き寄せ、人々に求められている。都会では特に。

久々に汗だくになるまで動き、心身がすっきりした。体内も脳内も活性化した。

これから授業レポートをひとつ仕上げて、早朝、会津若松へ行きます。鈍行で6時間。爆睡でしょう。

2009年7月17日金曜日

城の解体

経済難もあって、蔵書の多くを売りに出している。本はなかなか手放せなかったが、必要になったら手に入れればいい。10年以上こんな生活を続けていると、蔵書は増える一方で、クローゼットの中、ベッドの下にも進出し、本棚が先日壊れた。書き込みや線引きのはげしい物は出せないけれど、比較的綺麗な哲学、考古学の専門書の類がたまに売れる。(AMAZONの手数料、こんなに高かったっけと思う。)
CDや服、持ち物も徐々に片付けよう。身辺整理をしておこうという気持ちもはたらいている。自分の城の解体といった感じである。

私は、イニシエーションをせずに歳を重ねた人間の典型なのだと思う。自分の城を築き、城壁を固め防御していく。愛するモノを囲っておく。犯されることのない聖域のように。社会の何処に出ても、この城に戻り、愛するモノ、書籍群に向き合えば、最も尊く安心できる場所を確認できる、といったような。それが真でないのはわかりつつ。人生の直接経験という意味において。

死ぬときには身辺に殆ど何も残さないような、そういう生き方に向かうのはどうだろう。所有欲を失くしてもモノへの愛は健在だろう。

部屋に蓄積しているものをひとつずつ解体し、心身を軽くしていく。だが、丸山真男、今西錦司、三木清、加藤周一、、全集、小林秀雄、レヴィストロース、フッサール、イリイチ、、我が青春の書籍群、今でも捨てられないものはある。何度でも立ち戻る、まだ私には必要なもの。こんな風に迷いが常にある。

イニシエーションを経ずに個室に篭る若者に指摘されるのは、直接的なコミュニケーション、(言葉を解さなくても成り立つようなそれも含めて)の欠如であろう。その尊さは理解している。書籍を介してのコミュニケーションが、いかに深いところでの通い合いであるか、そのことも同様に信じている。

それゆえ、現在インターネットは、新たなコミュニケーションの回路を開き、個人の城の構築において重要な要素になっているが、文章を介した互いの精神と頭脳の苦闘を要する交流とは全く異なると感じる。

話は逸れたが、そう、城の解体は生の大切なものへと自分を向かわせるような気もする。

2009年7月13日月曜日

保護司・教誨師

「神社ネットワーク論」の授業で、神職の公的役職兼任として、保護司、教誨師の話があった。定年制による後継者不足など、神道界の内実も知ることができた。

存在すらよく知らなかったが、保護司については保護局のHP全国保護司連盟のHPに情報が載っていた。具体的な事例も知りたいので今後の情報にも注目していきたいと思う。特に神職の人たちがどのように活動しているのか。人の人生に深く関わる仕事であり、責任が重い。専門的な訓練や経験、職業意識だけでなく自分自身の人格にも関わることと思う。興味があっても当然それだけでは務まらない。慎重に判断しなくてはならないと思う。

黒崎先生の話がずしりときた。日本は監視社会になりつつあって、犯罪等の予防に力を注いでいる。システムとしての監視社会に依存することで、互いが注意しあう関係性や(自己抑止?)自覚の習慣がなくなっているのではないか。一方で、そのシステムから逸脱した人間に対して冷たい社会になっているのではないかという。普段から感じていることで、確かにそう思う。

システムに依存することで直接の人間関係が希薄になり、システムを乱そうとする逸脱者は無視するか、排除しようとする。それは近代化、都市化に伴う生死の問題でも言えることで、裏表である死の世界を見ようとしない社会、という構図にも共通する部分がある気がする。貧困、病気、老い、異質なものへの冷たさにも。

最近読んでいる、湯浅誠『反貧困』(岩波新書)からも、このようなシステム化された社会への疑問を感じていた。貧困や犯罪にも自己責任に還元できない社会全体からの作用があると思う。神職として何ができるのか、さらにより根本的に考えて、システム社会の問題解決に宗教がどのように介入しうるのか、困難な課題であるが、常に心に留めておきたい。神職に就くという事はそのような問題に対して、実践的に何かできる位置にいるということだ。

2009年7月12日日曜日

天皇制と宗教

土曜の大学院での発表内容は刺激的だった。発表者のレジメや発言が的を得ていたし、資料も充実していて素晴らしかったせいもある。

池田雅之先生の「比較基層文化論」の授業なのだが、参加している学生の中には、(後で知ったのだが)大学の先生や中学の校長先生他、企業や公的機関で働く社会人の方も多く、(中国人留学生も2,3人)様々な意見が聞けるし勉強になる。発表の質も自然と求められるせいか、昨年と比べると先生も驚くほど発表内容に手厳しい。容赦なく苦言を呈するので、一年目の修士学生が毎回苦戦している。納得する指摘だが、実際言われたらきついだろう。その分、回を追うごとに充実した時間になっていると思う。

全体を通し、異文化理解についてがテーマなのだが、昨日は「西洋人の天皇観」がひとつのトピックだった。西洋人にとって「不可解な天皇制」、西洋の日本研究者にとって天皇制について一定の見識を有するかが試金石とも言われている。具体的には、小泉八雲とチェンバレンの「今日の天皇制論議に示唆を与えるような対極的な天皇観」について。神秘的宗教体験を通してのハーンの天皇制理解と、チェンバレンのシステムとしての天皇制。

発表者のコメントも的確かつ興味深かった。現代の見識ある日本人の考え方を垣間見た気がする。一般的な見方なのかとも思う。「天皇及び天皇制が法的存在である以上、その国事行為者としての役割を否定するわけにはいかない」と。それから、ハーンの天皇論に、感情を抜きにした客観性をも求める一方で、「臣民一人ひとりの内なる天皇の存在」「個人に根付く古来よりの信仰の源」を明かさない限り、チェンバレンのマクロ分析的なシステムとしての天皇制論は説得力に欠けると指摘されていた。

ここは意見を頂かないと、と私に顔を向けられたけれど、これまで天皇制を宗教との関わりにおいて徹底して考えたことはなかった。結局、時間切れになったので、来週までには現段階の自分の意見を、と思うのだが。神道の歴史や人々の信仰に照らして考えなくてはならない複雑で困難な問題。けれど今後も発言できなければならない問題。ナイーブな意見に陥らないよう、神道界の外部の人たちに向けて、説得力のある意見をと思う。

また、ハーンの宗教体験について、論理的な思考が入り込む余地のない強烈な宗教体験には恐怖さえ覚えると、コメントされていた。宗教に関わる人間になるということは、現代の日本人の宗教への拒否感のようなある種の感覚にも注意を払って発言、対応していくべきなのだと実感し、身が引き締まる思いがした。

それにしても、学術的な場で本質的なテーマをめぐって、様々な場で活躍する年配の方々の意見を聞けるのは、勉強になる。自分の発表や意見に対しても、的確に、予想以上の反応が返ってくるので、意識が高まる。大学院に身をおくことは貴重だ。来年以降の所属について、迷ってしまう。

2009年7月10日金曜日

村上春樹 『1Q84』

先週、一気に読み終えた。この人の小説は読み始めると、日常世界が時間的にも空間的にも重層的になって、日常の感覚が風景が全く変わる。普段見ていない部分に視点も思考も向かい、その奥まで求めていくような、伸びやかでしかも研ぎ澄まされた感覚。この感じがずっと続けばいいと思ってしまう。実際今でも続いているのですが。日常の片隅のある穴から、すとんと何処かに抜ける感覚。『ねじ巻き鳥クロニクル』に出てくる井戸のように。時空を越えて何処かに通じていくような入口が彼の小説にはある。

『ねじ巻き鳥~』を読んで小説の可能性を知った。想像力と言葉の力で心も意識も身も細胞も、とにかく根底からどこかへ動かされる。強力な救いになりうる、「癒し」とかそういった類ではなく。個人的には切実に必要な種類の小説なので、今回のようなブームになるのがよくわからなかったが、こんな時代の要請なのかもしれない。

『1Q84』は、宗教についてももちろん考えさせられた。それから「記憶」がもつ力についても。私の内面にも、私を離れて外へも向かう過去の「記憶」の力。記憶の共有、復活、再活性化、独立、、。

それから何より単純に、愛について。驚くほど素直に感動した。愛は最も確固としたものである、そんな気持ちになった。救いようのない状況でも「愛があるから生きていける」とか、「この人のためなら死ねる」とかそんなことを、主人公はきっぱりと言ってのける。実際会えずとも(主人公は20年もその相手にあっていないのだ)、確かな愛に基づいた強い気持ちは、何らかの形になって相手に伝わるとか、そんなことが信じられるような希望を素直に抱いてしまった。

どうなのだろう、そのような人間同士の強烈な結び付き(意識内で熟成され表面化しない、だからこそ強烈な結びつき)は、人間の意識を超えて、世界の他の要素をも包括したり凌駕するような力を持ちうるんだろうか。結局、人間の意識内だけの事なのか。こんなテーマを真剣に考えたことはなかった気がする。愛や性について、それなしでは人間の本性などわからない、そういえば恩師も言っていた。

だが、これらを想像力の介しない言葉で解釈したところで、どんな意味があるのだろう。表現という意味において、小説家や芸術家の可能性はこの辺にある気がする。とても羨ましい。

2009年7月6日月曜日

「円空 12万体の仏の願い」

撮っておいてもらった、NHKプレミアム8の「円空 12万体の仏の願い」を観た。知らなかった円空の壮絶な修行人生や、作風の変化、木、仏像に託した願い等々どのトピックも興味深くて、充実した内容だった。

ドキュメンタリーのなかで印象に残ったのが、「廻り仏」という村の風習だ。円空は後年、彫った仏像を寺ではなく村人に託していった。岐阜県七宋町の部落では、世帯ごと1ヶ月交代で、円空の地蔵菩薩像を一ヶ月交代で「お世話」する。300年以上変わらぬ風習だという。仏像は赤い帽子をかぶり手作りの布地で装飾が施されていた。掘った筍を供え子供が生まれると干支と性別を仏像の装飾品?に書いて報告する。

一ヶ月経つと次の家に一家で運ぶ。家の主が仏像を抱きかかえ、「頼むで~」と言って大切に手渡していた。移動の晩には、次の家に若者から老人まで村の全世帯が集まり念仏をあげる。「この部落ではお守りや」と村の人たちは口々に言っていた。

円空の仏像は600箇所の民家に存在すると言われている。多くの庶民の救済を願って彫り続けた円空の信仰のありようが伺える。同時に、託された村々では人々の継続的な結束を生み出している、仏像の力と人々の祈りや願いの強さが生んだ時間を越えた人間と仏(神)との関係、共同体の結びつきを感じた。

2009年7月5日日曜日

土曜の授業で、山形県の春日神社の神事である黒川能の映像を観た。氏子である演者は子供から老人まで160人もいて、500年も続いているという。宮坐が、上座と下座に分かれ交互に演じるという話も興味深かった。能と神社の関係はどのように始まったのだろう。地域に根付いた芸能、神事としての芸能、そこから神社の持つ独特の場所性や機能が見えてくると思う。祭りと芸能、その意味合いや違いについても、実際多くを見て体験しないとわからないだろう。

久々に能を観たら、舞台を観に行きたくなった。高校生以来、何度か連れていってもらったが当時はつかみどころがなく、雰囲気を味わったに過ぎなかった。近年は能面をつくる職人技や、各地の神社の能舞台の建築などへの関心で止まっていた。実際に能の舞台となると、数年前にいった大山阿夫利神社の薪能以来、観ていない。

我が家は能と縁がある。父は数十年前、國學院大學の能の会で幹事長をしていて、母もその会に所属し出会ったらしい。父方の祖母は、戦前の満州で日本人に能の謡を教えていて、帰国後、演者としても舞台に上がっていた。私は写真やビデオでしか祖母の演じる姿を観ていないけれど。能だけでなく、両親の家系は能や華、茶、書、着付けを教えたりと日本の伝統文化に親しんでいた。だが、私はといえば空手や剣道には夢中になったが、そのうちのひとつとして受け継いでいない。今さらあがいても仕方がないが、理解しておきたいものだ。

神事とかかわる舞や音楽も、父曰く、「実際できなくてもよいが、良し悪しが分かるように」とのこと。大学の年上の友人が、神職に就くなら舞や楽はできなくちゃだめだと忠告してくれたが、実際に習うかは今のところは現実的ではない。大学での履修が終わる来年度以降、具体的に考えよう。それまで意識して芸能も観に行こうと思う。祭祀作法にも役立つかもしれない、身体の動かし方や精神のもちようなど、共通性があるかと思う。