2009年7月5日日曜日

土曜の授業で、山形県の春日神社の神事である黒川能の映像を観た。氏子である演者は子供から老人まで160人もいて、500年も続いているという。宮坐が、上座と下座に分かれ交互に演じるという話も興味深かった。能と神社の関係はどのように始まったのだろう。地域に根付いた芸能、神事としての芸能、そこから神社の持つ独特の場所性や機能が見えてくると思う。祭りと芸能、その意味合いや違いについても、実際多くを見て体験しないとわからないだろう。

久々に能を観たら、舞台を観に行きたくなった。高校生以来、何度か連れていってもらったが当時はつかみどころがなく、雰囲気を味わったに過ぎなかった。近年は能面をつくる職人技や、各地の神社の能舞台の建築などへの関心で止まっていた。実際に能の舞台となると、数年前にいった大山阿夫利神社の薪能以来、観ていない。

我が家は能と縁がある。父は数十年前、國學院大學の能の会で幹事長をしていて、母もその会に所属し出会ったらしい。父方の祖母は、戦前の満州で日本人に能の謡を教えていて、帰国後、演者としても舞台に上がっていた。私は写真やビデオでしか祖母の演じる姿を観ていないけれど。能だけでなく、両親の家系は能や華、茶、書、着付けを教えたりと日本の伝統文化に親しんでいた。だが、私はといえば空手や剣道には夢中になったが、そのうちのひとつとして受け継いでいない。今さらあがいても仕方がないが、理解しておきたいものだ。

神事とかかわる舞や音楽も、父曰く、「実際できなくてもよいが、良し悪しが分かるように」とのこと。大学の年上の友人が、神職に就くなら舞や楽はできなくちゃだめだと忠告してくれたが、実際に習うかは今のところは現実的ではない。大学での履修が終わる来年度以降、具体的に考えよう。それまで意識して芸能も観に行こうと思う。祭祀作法にも役立つかもしれない、身体の動かし方や精神のもちようなど、共通性があるかと思う。

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