2009年7月13日月曜日

保護司・教誨師

「神社ネットワーク論」の授業で、神職の公的役職兼任として、保護司、教誨師の話があった。定年制による後継者不足など、神道界の内実も知ることができた。

存在すらよく知らなかったが、保護司については保護局のHP全国保護司連盟のHPに情報が載っていた。具体的な事例も知りたいので今後の情報にも注目していきたいと思う。特に神職の人たちがどのように活動しているのか。人の人生に深く関わる仕事であり、責任が重い。専門的な訓練や経験、職業意識だけでなく自分自身の人格にも関わることと思う。興味があっても当然それだけでは務まらない。慎重に判断しなくてはならないと思う。

黒崎先生の話がずしりときた。日本は監視社会になりつつあって、犯罪等の予防に力を注いでいる。システムとしての監視社会に依存することで、互いが注意しあう関係性や(自己抑止?)自覚の習慣がなくなっているのではないか。一方で、そのシステムから逸脱した人間に対して冷たい社会になっているのではないかという。普段から感じていることで、確かにそう思う。

システムに依存することで直接の人間関係が希薄になり、システムを乱そうとする逸脱者は無視するか、排除しようとする。それは近代化、都市化に伴う生死の問題でも言えることで、裏表である死の世界を見ようとしない社会、という構図にも共通する部分がある気がする。貧困、病気、老い、異質なものへの冷たさにも。

最近読んでいる、湯浅誠『反貧困』(岩波新書)からも、このようなシステム化された社会への疑問を感じていた。貧困や犯罪にも自己責任に還元できない社会全体からの作用があると思う。神職として何ができるのか、さらにより根本的に考えて、システム社会の問題解決に宗教がどのように介入しうるのか、困難な課題であるが、常に心に留めておきたい。神職に就くという事はそのような問題に対して、実践的に何かできる位置にいるということだ。

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