2013年11月2日土曜日

南相馬市小高区にて


11月1日、宗教者災害支援連絡会の皆さんと、福島県南相馬市小高区の曹洞宗同慶寺にて清掃のお手伝い。その後、浪江町を案内していただいた。
小高区 は昨年4月より避難指示解除準備区域となり、現在日中の立ち入りのみ可能。同慶寺の住職一家、檀家さんは区外で避難生活を送っており、毎月1日と15日に 清掃結いを行っている。

快晴のもと、清掃やお茶をしながら、檀家さんから震災前の生活や現状、お気持ちなどたくさん話を伺った。ともに汗を流し、皆さん笑顔で楽しげに接してくださったことが嬉しく、楽しい時間だった。
 
活動後には、同慶寺の田中住職とボランティアガイドの語り部さんに、大悲山の石仏と双葉郡浪江町を案内していただいた。時間が止まったままの無人の町や 駅には、日常を突然に奪われ取り戻せない人たちの思いが重くのしかかっているように感じて、この現実を無視してはいけないと強く思った。

 
また、このたびは神職としての自分を意識する、大切な学びがあった。宿泊でお世話になった「カリタス原町ベース」さんのシスターたちや、教会でお会いし た司祭様、同慶寺の住職様に接するうちに、皆さんが発せられる言葉や態度、自然で柔和な笑顔と優しさに触れた。そして朝のミサやお寺での祈りの言葉に、震 災に対する共通する思いを感じた。夕刻に参拝した鹿島区の山田神社さんにおいても。
 

御縁を大切にしたい。また南相馬に行きたい気持もすでに高まっている。 
お世話になった南相馬の皆様、機会を作っていただいた宗援連の先生方に感謝致します。


浪江駅。駅前も震災の傷跡を残したまま。

 請戸漁港。福島第一原発から6K。遠方に煙突が見えた。

真野川河口の森の防潮堤。300名の市民、多くの子どもたちがた参加した植樹祭。苗木に祈りの言葉も掛けられていた。盛り土には震災瓦礫も埋められている。海と山、人々を分断するコンクリの高い壁ではなく森の防潮堤を作る意義を住職が語られた。



鹿島区の山田神社。 震災の津波で流失し、熊本から寄贈された鳥居と仮社殿。毎日参拝する地元の方がいらっしゃるそう。

2013年9月20日金曜日

ポート・ハーディ

旅程の最終に滞在したバンクーバー島最北の港町、ポート・ハーディ。現在でも大陸への船が出る港、そして19世紀以降、ヨーロッパか らの移民が辿り着き、根を下ろした土地。積み重ねた歴史と、人々の旅立ちの場というのもあってか、どこか情緒的な雰囲気が漂っていた。見過ごしてしま いそうな小さな博物館には当時の資料が豊富にあった。









観光案内所でいただいた冊子。北海道沼田町とは1993年から姉妹都市だったもよう。沼田市には、ポート・ハーディで彫られ、はるばるやってきたたトーテムポールもあるとか。

2013年7月13日土曜日

『海と大陸』

アルテリオ・シネマで、『海と大陸』を観てきた。
予告編の海の美しさに魅かれて観たのだけど…、地中海のイメージが変わった。シチリア島南方のペラージェ諸島。観光業と漁業のなかで揺れる島民、そこでの難民問題の根深さ複雑さが描かれる。映像とストーリーの光と影が、美しくも重くて。人々の無関心、世の矛盾、島の規則と良心との葛藤…。難民の母子をかくまった青年は、そんな島を覆う閉塞感を突破するように大陸へと船を出す。青年の成長する姿に重ねて、難民問題についての強いメッセージが込められている。母親サラ役を演じているのは、実際、この諸島に流れ着いた難民の女性で、悲しみを湛えつつ、生きる意志に満ちた目と、凛とした立 ち姿が印象的。濃縮された90分。

http://www.crest-inter.co.jp/umitotairiku/

2013年5月25日土曜日

国立新美術館「貴婦人と一角獣」展




  
念願の「貴婦人と一角獣」展を堪能。16世紀フランスで編まれた6枚の巨大タピスリー。背景にびっ しりと編み込まれた植物と動物。それらの配置と、繊細な線と色の絶妙な具合が、文様でもあり植物種を特定できるほどの忠実な描写でもあり…と、タピスリー の複雑な面白さを知る。そして、「触覚」「味覚」…人間の身体の五感を意味する5枚のタピスリーと、「我が唯一の望み」と題された6枚めの意味 するところを思うと、ひじょーに興味深い。その絵をみてると型どおりに「触覚」…→「視覚」→「精神」へという流れや、第六感、五感の統合態というわけで もなさそう。美しい装飾としてだけじゃなくて、編み込まれた様々な要素を楽しんでいたのでしょうか、フランス貴族は。

専修大学社会関係資本研究センター「再生するコミュニティ―伝統・継承・創造―」


専修大学社会関係資本研究センター主催のシンポジウム「再生するコミュニティ―伝統・継承・創造―」、前半のみ参加。祭礼と地域コミュニティについて、 諏訪御柱祭りと祇園祭りを対象にした、ふたつの研究発表を拝聴。それぞれ農村型、地域型の事例でしたが、共通してとくに興味深かったのが、閉鎖的ともいえる伝統的コミュニティが担う祭礼において、時代状況の変化の中で、新規住民がどのように受容され、関わっていったのかという点。その仕組みや、取材を通し て語られた旧住民、新規住民の心境。それから、「祭縁」が普段の地域生活にどう反映されてくかというとっても大切な視点。 
 
同時に、私が直面するであろう神社での課題を念頭におきながら、さまざま考えさせられた。学んで確認した大切なことはやはり、お宮の行事に新規住民を引き込むにしろ、新旧住民と神社との関係性を新たにつくりあげていくにしろ、それらが地域社会へ、個人の生活へどんなメリットを生み出せるか、(あるいはその相互作用)まで念頭におくべきだということ。対話しながら。
ちなみに御柱祭の事例で、既存住民の再組織化という興味深い現象があった。小単位のコミュニティを超えて若者が連携した例。旧組織ほどの権力は持たないまでも、実際機能している。その経緯や目的も気になるところ。

エドワード・S・カーティス 「アメリカ先 住民の肖像」



たまたま通りがかった、フジフィルムスクエアで、エドワード・S・カーティスの写真展「アメリカ先住民の肖像」に遭遇。フロアのほんの一角で、枚数も少ない展示。けれども一枚一枚に強烈に引きつけられた。何よりネイティブの人たちの姿が美 しく気高くて、カーティスの対象への敬意が感じらる。個人的には、陶器を野焼きする女性や、船から葦を刈るようすなど、日常のひとコマを映したものが 気になった。去りゆく彼らの後姿を捉えた一枚には、カーティスの心情が重なって見える気がした。「記録」を超えた、心に迫る写真群。ほと んど「清里フォトミュージアム蔵」。そして、カーティスの写真集も要チェック。

2013年5月7日火曜日

『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編 』展

東京都写真美術館、『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編 』
最終日、走り込みで観てきた。

明治期の北海道・東北の人々の民俗や産業の現場や肖像、写真史からの視点も興味深かったけれど、天災被害の記録には息をのんだ。三陸津波や磐梯山の噴火、 庄内地震…による、家屋や寺社の倒壊も克明に記録されている。全壊した祠を背に、被害を免れた神輿とともにたたずむ男性を映した一枚が印象的だった。

終盤、福島県冨岡町の開拓時代を映す最古の写真があり、「富岡町歴史民俗資料館」について説明書きに記されてあった。福島第一原発20km圏内にあるため、 収蔵品は浪江町に避難中。それゆえこの写真もオリジナルではないとのこと。心が痛んだ。
(同時開催していた『マルコ・ジャコメッリ』展。個人的にはとても刺激的で面白かった。)





「チベットフェスティバル トウキョウ 2013」

大本山護国寺に参拝。そして、本殿や境内で開催中の「チベットフェスティバル トウキョウ 2013」
を観てきた。砂曼荼羅、タンカの美術展、仮面舞踏の特別公演、関連書籍やチベットの衣食の紹介や販売も行われていて、子供連れから御高齢の方まで賑わっていた。楽しみながらチベットの文化に触れつつ、その悲惨で重い歴史を心に留めて、チベットに思いを馳せる。音楽や出店で明るく賑わう境内と、静寂な祈りの場となっている本殿や展示場。主催者や協力している護国寺の、チベットをサポートする姿勢や企画力など、伝わってきた。チベットの森林伐採に関する冊子が置いてあり、政治の問題とともに深刻化する環境問題も報告されており、気になった。

2013年3月11日月曜日

宮本輝『草原の椅子』

宮本輝『草原の椅子』、一気に読了。両親に捨てられた5歳の少年と彼をめぐる中年男女3人の再生の物語。タクラマカン砂漠で少年が一歩を踏み出す描写に、電車の中で涙腺が緩んでしまった。
心根の綺麗な、子どもに生き方を示せる、ほんとうの「大人」に、自分は程遠いなーと考えてしまった。世を憂うよりもわが身を、と思わせる。久々に心にまっすぐ届く小説を読みました。
(高村薫『李欧』もそうだけれど、桃源郷のような異国、再生ものがたりに弱い…。)

2013年3月9日土曜日

「神社と復興まちづくり」

昨晩は、「NPO日本都市計画家協会」さんの震災復興支援タスクフォース勉強会に参加しました。「神社と復興まちづくり」というテーマで、國學院大学の黒﨑浩行先生が、神社の基本知識と復興まちづくりにおける課題などについて講義され、私は、「復興支援を通して見た被災地と神社」ということで、町づ くりと絡めてお話させていただきました。(主に、先の気仙沼、月浜訪問の報告です…地域における神社の様々な機能や、神社と地域の人々や産業、郷土との密 接なつながりなど。神社や神職のネットワークについてもお伝えしたかったのですが。荒削りになってしまいました。)
被災地で復興まちづくりに関わる都市計画家の方々が、神社に深く関心を持っていらっしゃること、このような勉強会を開催されることを、ありがたく感じまし た。同時に、神社に関わる我々が、復興の過程でもっと、神社の意義や意味を改めて考え、様々な場で発言していくこと、被災地の神社さんの声を伝えることが 必要なのではないかなと強く思いました。
神社界の方や大学生、院生の方々も参加され、議論も様々な方向に広がって、新鮮でした。会の後の食事会も、復興町づくりについて専門家の方々からお話が伺えて、とても貴重な機会でした。

2013年2月13日水曜日

あさゆきさんの日記

あさゆきさんの日記 より。似顔絵師のみなさんの東北・宮城での活動。描いてもらった似顔絵を手にした皆さんの笑顔が、とっても嬉しそう。(描いてもらうとほんとに嬉しいのです。)「自分にできる ことが何かある」と、石巻で私を描きながらさらりと言った、朝村さんの言葉はとても説得力があって、心にすとんと落ちた。励まされたのでした。

2013年2月10日日曜日

映画 『阿賀に生きる』


20年前に製作されたドキュメンタリー映画、『阿賀に生きる』を観てきた。
若い7人の撮影チームが3年間、阿賀野川沿いで共同生活をしながら、川と共に生きる地元の人たちの畑仕事を手伝い、酒を飲み交わしたりしながら撮った作品である。当時、全国の賛同者のカンパで製作が始まり、佐藤真監督のデビュー作として世に出され、数々のドキュメンタリー賞を獲得した。佐藤監督は、5年前に逝去。このたび風化したフィルムを復活させるプロジェクトで、再び上映の機会を得たそうだ。 



フィルムの中、阿賀野川が基層低音のようにずっしりと緩やかに流れている。稲刈り、川舟づくり、餅つき、鉤釣り…、人々の身体や存在そのもの、雪の降る景色―、すべてが阿賀野川の流れとともに動いていた。そして、観てる私の”今”も同化していく気がした。ラストで撮影隊(画面には映っていない)が、老夫婦の穏やかな笑顔で見送られるシーンには、こちらも名残惜しくなって、しんみりとさせられるのだ。 けれど、ふとわれに返れば、ほんの20年前の映像が、懐かしさよりも遠い過去の記憶のように感じて、少し寂しいような複雑な気分におちいる。

また同時に、流れながらも重なって刻まれてく時間を、人々が築いてきた川辺の生活文化から、たわいのない会話から気づかされるのだ。風や水、気候、自然を読み、扱う技術―。自然への感謝と畏敬。船出の神事の祝詞には、人々の川への思いと、船くりを教え教えられる人間のドラマがよみこまれていて、じんわりと心に沁みた。




そして、『阿賀に生きる』で映された水俣病―。彼らが被害を訴えるシーンはほんのわずかしかない。未認定患者だというおばあちゃんは、変形した手を出して、使いものにならんと言う。向かい合うおじいちゃんは、感覚がなくて大火傷した足を見せて、よう出かけられん、と言う。世間話のように生活の不自由さを言い合う。工場操業時に、 強烈な匂いがしたという有機水銀の垂れ流し現場も、皆の生活の川である。日常に見え隠れする、公害の怖さ、被害者の怒りとやるせなさ。原発事故で生きる土地を損なわれ、不安に覆われた福島の状況を重ねずにはいられない。多くの痛みを内包しているドキュメンタリー。


『阿賀に生きる』公式HP→ http://kasamafilm.com/aga/

2013年2月9日土曜日

シンポジウム「3.11後の日本社会と宗教の役割」


2月9日、大正大学でのシンポジウム、「3.11後の日本社会と宗教の役割」(財団法人国際宗教研究所宗教者災害支援連絡会共同主催)に参加した。

被災地で支援活動をされてきた宗教者の方々の報告、そして仏教、神道、キリスト教、新宗教といった信仰や組織の枠を取り払った議論から、このテーマにおける宗教界の課題、それに向き合う私自身の立ち位置なども考えさせられた。

なかでも、移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を携え、各地の仮設住宅で傾聴活動を続けられた、金田住職のお話には学びが多かった。 強い御意思を持ちながら被災者の方々に寄り添う姿は、ユーモアがあって柔らかで温かかった。


被災地の活動の場では、意識的に宗教色を排除するという。だが、「傾聴」は、あくまでお寺での普段の仕事と同じであることを強調されていて、宗教者だからこその活動でもあると感じた。実際、宗教者の傾聴は、相手と立場を一体化する点で、立場的に相対して傾聴する、カウンセラー職の方々とは異なると語られた。「共感」ということか。

また、お地蔵様のような習俗化した資源、その 土地の精神風土に基づく宗教的資源が、人の心にいかにすーっと入り込み、安らぎを与えるかということにも驚かされた。紹介された地蔵づくりのボランティア、亡くした家族を小さなお地蔵様に重ねて涙を流す人たちの姿には胸を打たれた。
 
一方で、他のボランティアとの連携や訪問の時期やタイミングにとても神経を使っていること、現地の宗教者の方々への気遣い、また、震災直後の弔いの活動などが前提にあることなど、気持ちや勢いだけではできない活動の困難さがあり、的確で冷静な判断力や行動が求められると知った

住職が力強くおっしゃっていたこと徹底的な現場主義からたちあげていく宗教観―。では、そのなかで宗教史上の先人たちの教えや古の人々の積み上げてきた宗教的な伝統や慣習、思考を、どう生かして新たに紡いでいくのか―。宗教はその意味で、歴史のうえでの生きモノのように思う。そして、場所性」。 生死の境のような「宗教的なもの」が強く発されている東北の地でしかもこの状況下自分の中での宗教性がぼんやりと輪郭を現したかもしれないが、はて日常を過ごす地域に戻ったら…。 いずれも信仰の普遍性ということに思考が至った。


そして最後に、何より現場に赴く宗教家の方々の言葉から、未来が一瞬で 絶たれてしまったひとつひとつの命を思うこと―ひとつひとつの人生、物語に耳を傾けること―ときに見失われてしまうこの視点が、宗教者にとって、ぶれてはいけない大切な ことであると教えられた気がした。

また、篠原さん(世界宗教者平和会議日本委員会仙台事務所所長)による「政教分離」や「公共性」への踏み込んだ解釈から、論点がより明確にできたのも収穫 だった。将来の街づくり、社会の仕組みづくりへの積極的な参画、「宗教性」を発揮する努力をすべきとの提言には、子供たち、次世代へ目をむけることの重要性を含んでいて、それを切実に受けとめた。


  ラジオ版「カフェデ・モンク」の記録 ラジオ・カフェ・デ・モンク』 

大正大学。大正15年設立。明治18年設立の天台宗大学が前身。建学の精神は「智慧と慈悲の実践」とあります。

森住卓 写真展「風下の村」

2月9日、森住卓さんの写真展『風下の村』を観てきた。

福島第一原発の事故で汚染されてしまった飯館村の記録。ハッとするほど美しい村の雪景色や、当たりまえの ように生まれでるタラの芽の存在感に、土地が汚されていく理不尽さをいっそう感じた。仕事も畑も牛も日常も失ってしまった飯館村の人たちの怒りや悲しみ が、その目から後姿から全身から、痛いほど伝わってくる。痩せこけて死にゆく牛たちの姿から、われわれは生命や生活について根本から省みなければならない と、迫られる思いがした。
新宿、コニカミノルタにて今月12日まで。





ちなみに数年前の展示で購入した、森住さんのパキスタン カシミールの人々を写したカレンダー、「山の民の祈り」を、(日にちの部分を張り替えながら、)毎年部屋に飾っている。風土と一体となった人々の内奥まで 写すそのまなざしが、とても真剣で優しい。雄大な温かなものに包まれた気もちになれるのです。

森住卓 写真集『風下の村

森住さんのフォトブログ→http://mphoto.sblo.jp/

2013年1月26日土曜日

「書きそんじハガキキャンペーン」

日本ユネスコ協会連盟による「書きそんじハガキキャンペーン」、正月もとうに過ぎてしまい時期が遅れましたが、まだ募集しているようです。書 き損じハガキ、職場や友人にも声をかけてみました。私ひとりだとほんの数枚にしかなりません。
「…あなたの書きそんじハガキ11枚で、途上国では子どもひと月、学校に 通うことができます。」日本ユネスコ協会連盟へ送るだけ。そのほか、未使用切手や商品券などなど…。
FaceBookで情報をいただきました。
 

「ラオスの子供に教科書を送ろう」

ネット上から簡単に送れます♪微力な個人にも、ささやかな気もちを届けるチャンスを与えてくれる。こういったNGOの活動、関係者の方々にはいつも敬服と感謝の念を抱きます。以下、HPより。
 
「教育分野に特化した日本生まれのNGO,一般財団法人民際センター…。設立以来、延べ35万人を超える子どもたちに、奨学金 を提供してきました。 今後は、ミャンマー ・ベトナムへの支援も計画しており、メコン川流域5カ国での活動を目指しています。」